週刊ベースボールONLINE

高校野球リポート

今夏限りで勇退 帝京・前田三夫氏緊急インタビュー。「選手にもまだ言っていません」

 

決断に至った経緯


帝京高(東京)を50年指揮した前田三夫氏は、今夏限りで監督を勇退。今後は同校野球部の名誉監督として、現場をサポートしていく


 東京の強豪校・帝京高を率いた前田三夫監督(72歳)が今夏限りで勇退していたことが29日、明らかになった。1972年に同校の監督に就任し、春1度、夏2度の甲子園大会優勝へ導き、歴代5位タイの通算51勝。今夏は2011年以来の甲子園出場を目指したが、二松学舎大付高との東東京大会準決勝で敗退。退任はごく一部の関係者に明かしたのみで、ひっそりとユニフォームを脱いでいる。それが、男としての引き際。前田氏は本誌のインタビューに応じてくれた。一問一答は以下の通り。

――決断に至った経緯は?

前田氏 6月で72歳。体は元気ですし、まだまだノックも打てます。でも、ちょうど就任して50年という節目ですね。長くやらせていただいて、この辺りがケジメかな、と。自分自身で決めました。甲子園大会の期間中で、終わってから報告させていただこうかと思っていましたが……(当初の決勝は25日だったが度重なる順延で29日)。昨日、秋の東京大会のブロック予選の抽選会がありまして、連盟登録するタイミングとなり、監督には金田優哉ということで、私の名前は載せていません。そこで一部報道に出る形となりました。実は選手にもまだ、言っていないんです。

――新チームはどのような形で?

前田氏 しばらく顔を出さず、コーチ2人に任せていました。グラウンドへ行ってもジャージー姿。選手たちは何かを感じていたかもしれませんが、甲子園が燃えている中で、(情報が)漏れてはいけないと思っていました。

――「夏で最後」と決めていましたが、選手には、勇退を伝えていなかったわけですね。

前田氏 選手に(自分自身のことで余計な)プレッシャーをかけさせたくなかった。あくまでも自然体でいこう、と。スパッと辞めようと思っていました。大会後に学校へ報告すると、驚かれましたが……。

――昨秋は東京大会2回戦敗退、今春は東京大会初戦敗退と苦しみましたが、今夏は東東京大会4強と、チームを立て直してきました。

前田氏 優勝して甲子園に出場するのが最高ですが、現実は甘くない。何とかそこに近いところまで持っていくのに、必死でした。選手たちは本当によく、頑張ってくれました。

甲子園で思い出に残る試合は?


――甲子園通算51勝は歴代5位タイです。

前田氏 この10年、出場していないですからね(2011年夏が最後)。60くらいは勝ちたかった思いはあります。

――春1度(1992年)、夏2度(1989、95年)の甲子園優勝は、輝かしい実績です。

前田氏 全国優勝を3度もさせていただいたことは、ありがたいことです。

――甲子園で思い出に残る試合は?

前田氏 2006年夏の智弁和歌山高との準々決勝ですね(4点を追う9回表二死から8得点で大逆転も、その裏に5失点で12対13のサヨナラ負け)。心に残っています。あのときの甲子園は生きていました。怒号。唸っている。ゾクゾクしました。

――今後は名誉監督に就任。どのような形で現場と関わっていく予定ですか。

前田氏 側面からお手伝いする、というスタンスです。ユニフォームはもう、着ません。

――前田監督と言えば、ノックによる選手とのコミュニケーションが印象に残っています。

前田氏 新たな指導体制で動いていくわけですから、私は口出しをしません。現場から依頼があれば、打ちたいとは思っています。グラウンドの空気が、好きなんですよ。

文=岡本朋祐 写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング