3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を進行中。いろいろあってしばらく休載しましたが、今後は時々掲載します。 江本に続く野村監督の再生手腕
今回は『1973年5月28日号』。定価は100円。
巨人から南海に移籍した
山内新一、松原明夫が完全に“生き返った”。
巨人時代は鳴かず飛ばず。しかも、獲得時に不満分子でもあったドラフト1位の
富田勝を放出したことで、チーム内外から
野村克也兼任監督への批判もあった。
ただ、これが拾い物だった。
まずは山内だが、当初はリリーフでスタートしながら勝ち星を手にし、5月9日時点で5勝1敗。先発2勝、リリーフで3勝だ。当時はリリーフといっても3回、4回と投げることもあり、その間に味方が逆転し、勝利が転がり込むことはよくあった。
「ついてるだけですよ。もっといいピッチングをしなければダメです。それにミチ(
佐藤道郎。抑えだった)に助けられての勝ち星が多いので、何だか悪いみたい」
と謙虚な男だけに喜びも控えめ。
対して松原は先発中心の起用で、5月9日時点では1勝3敗ながら防御率はリーグ3位の1.75と内容がいい。
5月3日の近鉄戦で完投し、プロ入り勝利を飾った際には、試合後、
「勝手に涙が出てくるんです」
と大きなバスタオルで顔をおおっていた。
こうなると、やはり野村監督の手腕に注目が集まる。前例としては前年、東映時代は無名だった
江本孟紀を獲得し、移籍1年目から16勝を挙げさせ、エース格に育てている。
江本は言う。
「監督は確かに選手の性格をつかむのがうまい。僕の場合は10勝という目標を置いてくれた。つまりお前は10勝いける、と言うんです。あの監督が言うんだからと、その気になった」
野村監督は山内、松原に対し、こんなことを何度も言っていたという。それも直接だけではなく、新聞記者に言って記事にさせることもあった。
「松よ、お前はいい球を持っているじゃないか。巨人は、お前みたいないい投手をなんで二軍に置いていたんかいな。もったいない。一軍で通用するよ」
「山内、お前は10勝できる。球の威力にしてもワシの思ったとおりや。打倒阪急の秘密兵器やからな」
これは蛇足だが、2人の見た目にも変化があった。髪の毛である。巨人時代は刈り込んでいたのが、少しだけ長くした。
巨人・
川上哲治監督が長髪、ヒゲ嫌いだったこともある。選手が髪を伸ばしていると、突然、カネを突き出し、
「これで床屋に行ってこい」
と言ったり、
牧野茂コーチがヒゲを伸ばした際には、
「ヒゲを伸ばした意味を言え」
と迫ったりしたという。
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM