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日本人メジャーの軌跡

34歳で海を渡った薮田安彦。実力を出し切れず2年で悔しい帰国/日本人メジャーの軌跡

 

薮田安彦は2007年のシーズン終了後、FAでロイヤルズと2年総額600万ドルの契約を結んだ。05年には救援陣の一角としてロッテの31年ぶりの日本一の原動力に、2006年にはWBCで好投して優勝に貢献していた。

3年目からメジャーに上がれず


ロイヤルズ時代の薮田


 ロイヤルズのデイトン・ムーアGMは「彼は日本で最も優れた救援投手のひとりだ。経験豊富なベテランであり、若手の多いわがチームの投手陣にとっては貴重な存在になる」と期待を寄せていた。指揮官は日本ハムを率いていたトレイ・ヒルマン監督。日本人選手がプレーするには恵まれた環境だった。

 デビュー戦は開幕から5試合目、4月5日のツインズ戦。4対6と負けていた8回に三番手で登板し、1安打を許すも無失点に抑えて上々のスタートを切った。その後も無難な投球を続けたが、4月18日のアスレチックス戦で大炎上した。2対5とリードされた8回に登板。3四球の二死満塁から内野安打と押し出しの四球で降板した。その後にマウンドに上がった野茂英雄がさらに本塁打などを喫し、この回8失点。薮田が2/3回で5失点、野茂が1回1/3で3失点だった。

 ちなみにこの登板で野茂はマイナー降格となり、現役最後の試合になった。薮田は野茂の最後の日本人チームメートになったのだった。4月は9試合に登板して防御率8.31だったが、5月は8試合で防御率2.00と調子を上げた。ところが6月は9試合で防御率4.82。結局6月下旬にマイナーへ降格した。その時点で1勝3敗、防御率5.46と、救援投手としては心もとない数字だった。

 9月にベンチ入り枠が拡大されるとメジャーに復帰し5試合に登板。防御率1.42と好成績を残した。結局1年目は31試合で1勝3敗、防御率4.78と期待に応えることができなかった。

 2年目はマイナーからのスタートとなった。メジャーでは12試合で2勝1敗、防御率13.50と、戦力になることができなかった。3年目は球団オプションだったが、ロイヤルズは選択権を行使せず。FAになり、古巣のロッテに戻った。

 英語でのコミュニケーションを含めてアメリカのスタイルやベースボールに適応するのは、34歳にとって難しかったのかもしれない。それでもロッテで2010年に日本一に貢献した。アメリカで枯れ果ててはいなかったのだ。

『週刊ベースボール』2021年9月6日号(8月25日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
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