3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 死因はポックリ病?
今回は『1973年4月9日号』。定価は100円。
1973年3月22日、巨人の湯口敏彦が入院先の病院で、心臓麻痺で急死した。
岐阜短大付高からドラフト1位で71年に入団した左腕。球は速いが制球難でなかなか一軍昇格ができずにいた。前年末からノイローゼ気味になっていたとも言われ、自殺ではないかとウワサがあったが、入院先の医師は、「死因は心臓麻痺、ぽっくり病」とし、
「ぽっくり病は若い元気な人に多い。運動していた若者が突然やめたのだから十分に考えられる」
と話している。
湯口が入院先の病院の理事長で、神経研究所所長でもあった精神科医の内村祐之は、元プロ野球コミッショナーでもあった。
「湯口君は私も二、三度診察した。性格は内向的。意見を主張できず、他人に押されてしまう青年だった」
と話している。
ノイローゼの原因について、ファン感謝デーの試合で滅多打ちを食らったこと、酒におぼれ、中尾二軍監督から殴られた、などと言われたが、湯口は内村に
「ファン感謝デーで打たれたのは前夜飲み過ぎたんです。登板の予定じゃなかったんで」
「僕が中尾さんのところに行って、殴ってくださいと言ったんです」
と言っていた。
川上哲治監督は、「中尾を責めないでほしい。中尾の責任というなら私の責任だ。それにマスコミも責任を感じてほしい」と話している。
では、またあした。
<次回に続く>