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週べ60周年記念

中日スタヂアム事件/週べ回顧1973年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を進行中。いろいろあってしばらく休載しましたが、今後は時々掲載します。

不動産事業の失敗と詐欺


表紙は左から太平洋・加藤初東尾修


 今回は『1973年6月18日号』。定価は100円。
 
 1973年5月23日早朝、三重県志摩郡黒崎海岸で中日スタヂアムの平岩治郎社長を水死体で発見。宿泊していた旅館から遺書も見つかり、自殺と断定された。

 平岩社長は1956年から60年まで中日ドラゴンズの代表も務め、その後も球場にたびたび顔を出しており、無類の世話好きで選手から多くの選手から慕われていた。

 この数日前、週刊誌で「60億の負債に苦しむ中日スタヂアム」という記事が出て、実際25日は手形の不渡りを出し、直後、倒産宣言となった。

 中日の球団事務所には「スタヂアムが使えないということになったら俺たちが承知しない。心配するな」というファンの激励とともに、「借金を返さずにゲームをしてみろ、ただではすまさんぞ」という脅迫電話もかかっていたという。

 スタヂアムの大株主である中日新聞は「方法や具体的なことは言えないが、とにかくドラゴンズの公式戦に支障を起こすようなことはしない」と明言。球場の敷地は銀行の担保に入っているが、「いますぐ競売に付すことはない。ドラゴンズと球場の使用契約は生きている。使用問題は両者が決めればいい」と銀行も見解を発表。株主だった中日新聞、熊谷組、野村證券、名鉄が再建委員会をつくって今後の運営を図っていく予定という。

 倒産の理由は不動産部門の失敗、輸入娯楽機械の販売の失敗に加え、手形のパクリ屋に引っかかったことだという。

 土地の失敗は国立公園に繰り上げ予定地、農業振興予定地など、開発も売り出しできない土地を買ってしまったこと、娯楽機械は子会社がスロットマシーンなどを購入も業者の倒産に巻き込まれたためだ。

 さらにN(昔の週べにしては珍しくイニシャルだった)と名乗る人物がスタヂアムに接近。数字がどこまで正確かは分からないが、16億円の手形を振り出させて3億円だけ現金化し、13億円は後日渡すと言ったまま失踪したとあった。東南アジアに逃げたとも、殺された、ともウワサされていた。

 折も折、5月26日には元ロッテの本拠地・東京スタジアムも解散を決めている。球場の土地は東京都が買い上げ、住宅地にする予定という。

 永田雅一、希代の野球好きオーナーの夢のあと……。

 では、また。

<次回に続く>

写真=BBM
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