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日本人メジャーの軌跡

“幕張の防波堤”小林雅英が海を渡るも徐々に下降線をたどり、日本復帰へ/日本人メジャーの軌跡

 

FAになった小林雅英は2007年11月20日にインディアンスと2年契約を交した。ロッテでともに救援陣を支えた薮田安彦が同じア・リーグ中地区のロイヤルズと契約した11月28日よりも8日早かった。それだけインディアンスが小林を高く評価していたということだ。日本担当スカウトだった元ロッテのネイサン・ミンチーの意見が大きかったという。

全盛期の投球は見せられず


インディアンス時代の小林


 2007年のインディアンスではクローザーのジョー・ボロウスキーが45セーブを挙げたものの、防御率5.07と安定感を欠いた。当時のマーク・シャピロGMは「救援陣は常に強化を続けていく必要がある。小林はレベルの高い日本で経験を積んだ投手。彼が加わることで試合終盤の投手起用の選択肢が広がるだろう」と、08年への展望を口にしていた。

 小林がメジャー・デビューしたのは08年4月2日のホワイトソックス戦。開幕から2試合目だった。6対1とリードした8回に登板し、打者3人に対して2安打、1奪三振と、失点こそなかったものの不安なスタートだった。以降も走者は出した。だが自慢のスライダーを武器に失点は最小限に止め、4月は1勝0敗、1ホールド、防御率1.46だった。5月13日のアスレチックス戦では1回1/3を1安打、無失点で初セーブを挙げた。

 前半戦は42 試合で4勝4敗、防御率3.05、5セーブとまずまずだった。しかしチームはア・リーグ中地区最下位と低迷。7月には先発左腕C.C.サバシアをトレードでブリュワーズに放出、ボロウスキーをリリースと再建モードに入る。

 そんな中、メジャーの打者に対応されて小林の成績は下降線をたどった。後半戦初登板となった7月19日のマリナーズ戦で、9対4とリードした9回二死一塁からイチローに本塁打を浴びるなど、後半戦は15試合で0勝1敗1セーブ、防御率10.32。1年目は57試合で4勝5敗6セーブ、防御率4.53と、チームの期待に応えたとは言い難かった。

 契約最終年の09年は10試合で勝敗、セーブともなく防御率8.38でマイナー降格。3Aコロンバスでも18試合で2勝2敗1セーブ、防御率4.66で7月19日にはリリースされた。小林のほうから新天地を求めて自由契約を申し入れたのだという。しかしメジャーに移籍先はなかった。

 ロッテで通算227セーブを挙げた右腕は翌10年、巨人でプレーすることになった。メジャーで全盛時のピッチングを披露することはできなかった。

『週刊ベースボール』2021年9月13日号(9月1日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
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