ベーブ・ルースが全盛期の1922〜29年の間にア・リーグのMVPは1度のみという規定があり、ルースは1度受賞しただけだった。記者投票によるこの賞は、シーズンの印象度も大きく関わっている
先日ベーブ・ルースのお孫さんトム・スティーブンズさん、69歳をインタビューしたとき、MVPの話になったのだが、「ベーブのころは妙なルールがあって、一度受賞すると、翌年から対象外にされていた」と不満そうだった。
当時も今も、記者投票で決めるのだが、調べてみると1922年から29年、ア・リーグについては確かにその規則が存在し、23年に打率.393、41本塁打、133打点で選ばれたルースは、24年が2冠、26年も2冠、27年は本塁打王+キャリア2番目の165打点でも対象外だった。
26年選出のジョージ・バーンズは最多の216安打をマークしたが、今風にOPSで比較するとルースの1.235 に対し.889 だった。一方でナ・リーグにはそのルールはなく、ロジャース・ホーンスビーは25年と29年の2度選出された。31年からは回数制限がなくなり、ジミー・フォックスは32、33年、38年と3度選出。ルー・ゲーリッグは27年に続き36年も選ばれた。
しかしルースは31年にはすでに36歳で峠を越していた。さらにルースが二刀流をしていた18、19年にはそういった賞がなかった。結果ルースのMVP獲得は1度だけである。
さて今年だが、本命の
大谷翔平に対しブラディミール・
ゲレーロ・ジュニアが追い上げてきた。9月27日終了時点で打率3位、本塁打1位タイ、打点6位で、もし三冠王を取ったら、二刀流とどちらに価値があるかは、議題としてとても興味深い。
ただ多くのアメリカ人記者は「打つことに関して、大谷はゲレーロに匹敵しているし、24盗塁もある。その上で投手としての活躍がある。大谷だろう」と言う。ご存じのように三冠王はなかなか出てこないし、2012年のミゲル・
カブレラ、67年のカール・ヤストレムスキー、66年のフランク・ロビンソン、56年のミッキー・マントルと近年の4人は全員MVPに選ばれた。
一方で42年、47年のテッド・ウィリアムスは選ばれなかった。42年はジョー・ゴードン、47年はジョー・ディマジオだった。ゴードンの本塁打数はウィリアムスの半分、打率、打点も大差があったが守備はうまかったという。47年のディマジオも数字で差があったが、記者に人気があったらしい。ウィリアムスは記者が嫌いで、記者たちも守備ではやる気が見られないし打撃もチャンスに弱いと非難した。
ウィリアムスのMVP受賞回数は結局2度だったが、出塁率や長打率を重視する今の記者なら少なくとも5度は獲得しただろう。MVPについて何をもって価値とするかは記者の判断に任されている。筆者が特に印象に残っているのは12年のカブレラ。マイク・トラウトは三部門で負けていても、WARで10.5、カブレラの7.1を大きく上回った。その年の盗塁王だったし、守備はセンターで貢献度が高い。結果28人の記者のうち22人がカブレラ、6人がトラウトに一位票を与えた。
打撃3部門といっても、近年は打率や打点への評価は必ずしも高くなく、その傾向はさらに強くなっている。1910年、チャルマーズ自動車がリーグの首位打者に自動車を贈ったのがMVP選出のきっかけだが、今や昔なのである。
文=奥田秀樹 写真=BBM