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よみがえる1990年代のプロ野球

監督たちの言霊。「優勝」の二文字を口にすべきかどうか/よみがえる1990年代のプロ野球〜1992年編

 

優勝を口にするかどうか


野村監督[左]と古田敦也


「僕たちの戦いから皆さんに元気を届けて、そして最後には優勝します」

 9月26日、巨人戦(東京ドーム)の勝利のあと、阪神矢野燿大監督が言い切った。

 監督の口からの「優勝」の二文字はデリケートだ。選手を鼓舞し、力を引き出すことがあれば、怖いもの知らずの勢いを止め、委縮させてしまうこともある。

 矢野監督も首位なら言わなかったかもしれないが、ヤクルトを追う立場となり、「今こそ」と判断したのだろう。

 さかのぼれば、1985年の阪神優勝&日本一イヤー、「土台づくり」「われわれはチャレンジャー」が口癖だった阪神・吉田義男監督は、優勝が確実視されても、なかなか「優勝」という言葉は使わなかった。 

 日本一決定後、本誌で掲載した真弓明信掛布雅之岡田彰布、さらに司会・小林繁(元巨人─阪神)の座談会でも、こんなやり取りがある。

真弓 マジックを1にした最後の広島2連戦があって、その最初の試合前に監督が「この試合が一番大事なんだ」と言うんですよ。

岡田 130試合、そう言ってましたから(笑)。

掛布 テープを録ったらずっと一緒と違う?(笑)

真弓 それで1試合目勝って、よしこれで決まったとみんな思ったら、次の試合前にまた「この試合が一番大事なんだ」と。みんな心の中で「ウソだ〜」って言ってました(笑)。

 シーズン終盤、ベテランの川藤幸三は吉田監督に「優勝を目指す」と明言させるため、選手会長の岡田を通し、「優勝しなきゃファンに殺されます、くらい言ってください」と伝え、吉田監督もやっとマスコミに「もう優勝と言わないと選手に怒られます」と話したという逸話もある。

 言ったときの失敗例でも、歴代阪神監督に登場いただく。

 92年、今年同様、阪神、ヤクルト、巨人で優勝争いした年だ。阪神は、亀山努新庄剛志ら若手の台頭もあって快進撃を見せたが、9月に入っての長期ロードで急失速した。 

 その原因の一つが、遠征前、「大きな土産を持って帰ります」という中村勝広監督の言葉だったという。

 のちの取材で、亀山はそれを「事件が起こった」と表現した。

「あれから選手が硬くなり始めた。監督もバントをしない二番バッターの亀山にバントのサインを出したり、遠征中に急に練習だと言い出したり、普通じゃなかったですね」

ヤクルトの大逆転優勝


野村監督の胴上げ


 ただし、これで阪神の優勝の可能性が消えたわけではなかった。3強は最後まで決め手を欠き、最終盤の10月1日でも首位は阪神、0.5ゲーム差の2位が巨人、1ゲーム差の3位がヤクルトだった。

 10月6日、首位を保ったまま2位ヤクルトとの神宮決戦。優勝の行方を大きく左右する2試合だったが、その初戦、阪神は仲田幸司が最高のピッチングをしながら0対1の惜敗で同率1位で並ばれた。翌7日、中込伸の力投で8回を終わって3対1とリードし、9回裏、一死一、三塁のピンチを迎えたところで中村監督はとっておきの臨時ストッパー・湯舟敏郎を投入した。

 しかし、この「最善の策」だったはずの湯舟投入は連続四球で押し出し。代わった中西清起も打たれ、悪夢のサヨナラ負けで首位の座を譲ってしまった。

 次に視点をヤクルトに移そう。

 ヤクルトは10月1日時点で4連敗中。残り6ゲームでの逆転は不可能かと思われ、しかも試合がなかった翌2日に阪神が勝利し、1.5ゲーム差となった。

 絶体絶命のピンチだったが、3日の中日戦(神宮)で故障から復活した荒木大輔が4年5カ月ぶりの勝利。これでよみがえる。そこから4連勝、6日の勝利で同率、7日には単独首位となった。

 10月10、11日、敵地甲子園に乗り込んでのラスト2試合は、阪神が連勝すればプレーオフの可能性もあったが、奇跡の男・荒木が先発した初戦の10日に5対2と勝利し、優勝を決めた。

 野村克也監督は、9回二死になるとベンチの3列目から最前列に足を運び、胴上げにそなえてウインドブレーカーを脱ぎ、メガネを外した。最後は伊東昭光久慈照嘉をセカンドゴロに打ち取り、ゲームセット。

 野村監督は歓喜の大歓声……、いや湧き上がる阪神ファンの「帰れ!」コールの中、8度宙を舞った。

 この年、野村監督は就任3年目。就任時の有名な言葉に「1年目は種をまき、2年目は水をやり、3年目に花を咲かせる」というものがあった。

 まさに有言実行、言霊の優勝と言っていいだろう。

 実際、主力選手の一人、池山隆寛は「90年が5位、91年が3位。徐々に勝つ方法が分かってきて、なんとか上を目指せるかなと思っていました。あの年は最初から選手も皆、優勝という言葉は口にしていました」と振り返る。

 この球史に残る名言の背景を知りたいと、2019年、野村さんに「あの年、優勝の自信はあったのですか」と聞いたことがある。

「まったくない。優勝なんて最後の最後まで頭の片隅にもなかった」 

 意外な真実なのか、単に機嫌が悪かっただけなのかは分からないが、追加の質問を拒絶するかのようにきっぱり言い切られてしまった。

文=井口英規
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