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プロ野球はみだし録

巨人と江川卓が“契約”した1978年の秋はドラフト史の分岐点でもあった?【プロ野球はみだし録】

 

指名する順番か、指名する選手か


78年のドラフトでクラウンに1位指名された江川


 ドラフト史上もっとも大きな“事件”といえば、1978年の秋に勃発した“江川事件”だろう。簡単にいえば、ドラフト会議の前日に設けられていた手続きなどのための予備日、いわゆる“空白の1日”を使って巨人江川卓をドラフト外の選手として契約、そのままドラフト会議をボイコットしたものだ。この“事件”ばかりがクローズアップされてしまうドラフトだが、これがなければ、ドラフト史の大きな分岐点として語り継がれるものだったはずだ。

 この78年のドラフトから導入されたのが現在に連なる入札方式だ。球団は1巡ごとに指名を希望する選手を提出、単独の場合は指名が確定するが、重複した場合は抽選となるシステム。これが、その後のドラフトで有力な選手に複数の指名が競合し、クジを引く担当者の腕から履いていた下着(ふんどし)にさえ注目が集まるドラマを呼んでいくことになる。

 ドラフト会議が始まったのは65年の秋で、翌66年は第一次、第二次と、会議そのものが2度に分けて行われた。手探りが続いたドラフトだが、67年の第3回からは球団が指名する順番を抽選で決める指名順抽選方式が定着。これが77年まで続いた。ここ数年はドラフト会議そのものがショーアップされているが、これが選手への競合からの抽選ではなく、球団が指名する順番を抽選で争うだけのままであれば、最近のようにドラフト会議そのものをファンが楽しむ流れにはならなかったかもしれない。

 この指名順抽選方式の最後となった77年のドラフトで、抽選で指名順の1番目を獲得したクラウン(現在の西武)から、まさに“いの一番”で指名されたのが法大の江川だった。江川は20年に1度の逸材と評され、“怪物”の異名を取った右腕。クラウンに続く指名順2番目だった巨人も江川の獲得を狙っていたのだが、わずかの差で江川を指名する権利すら逃してしまったのだ。

 だが、江川の意中にあった球団も巨人だった。江川はクラウンへの入団を拒否して“浪人”する。ただ、江川との交渉権はクラウンに残ったままだった。これが翌78年ドラフトの“事件”へとつながっていくのだが、これについては次回に詳しく。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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