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プロ野球はみだし録

「九州は遠い」とクラウン入団を拒否して浪人した江川と巨人が契約した“空白の1日”とは【プロ野球はみだし録】

 

高校で阪急、大学でクラウン入団を拒否


空白の1日を突いて巨人と“契約”した江川(右は正力オーナー)


 1977年のドラフトで指名順が2番目となり、江川卓の交渉権を1番目のクラウン(現在の西武)に“さらわれた”巨人。その巨人を意中の球団とする江川は入団を拒否した。江川は作新学院高3年の秋、73年のドラフトでも阪急(現在のオリックス)に1位で指名されているが、「100パーセント進学」を明言しており、入団を拒否して法大へ進んでいる。

 77年の秋にクラウン入団を拒否した際には「九州は遠い」と発言。江川の地元である栃木からクラウンが本拠地を置く福岡が遠いことは確かだったが、江川との交渉権を持ったままクラウンは78年シーズンに突入するも、秋のドラフトを前に球団は西武となり、本拠地も埼玉は所沢へ、江川との交渉権も西武へと移行した。もしも西武の誕生が1年でも早ければ、西武は「巨人がある東京よりも近い」球団だったことになる。ただ、西武が手にした江川との交渉権もドラフト前々日に消滅。ここに目をつけたのが巨人だった。

 当時、ドラフト会議の前々日まで前年のドラフトで選手を指名した球団の交渉権が維持され、諸般の手続きなどのために1日、つまりドラフト会議の前日が“空白”となっていた。巨人は“浪人”状態だった江川を確実に獲得するべく、この“空白の1日”に江川と“契約”してしまう。この日の江川は野球協約141条でいう“いずれの球団にも指名されなかった選手”、つまりドラフト外の選手として契約が可能。これが巨人の主張だった。

 巨人は江川の入団を申請するも、却下されると「こうなったらリーグ脱退だ。中央突破もやむをえない」と、「却下は野球協約違反のため撤回すべし」と提訴した上でドラフト会議をボイコット。巨人を除く11球団で開催されたドラフト会議で4球団が競合した末に阪神が江川との交渉権を獲得すると、その日のうちに巨人は「12球団すべてがそろっていないドラフト会議は無効」と提訴した。

 球界は大混乱に陥ったが、最終的に巨人は、この“中央突破”に成功。江川は阪神へ“入団”し、翌79年キャンプまでに巨人へトレードで“移籍”することで決着した。ドラフト導入から14年、まだ制度は“抜け穴”だらけだったのだ。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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