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プロ野球はみだし録

制度の“抜け穴”で江川、ドラフト外で鹿取を獲得した巨人だが…“逃がした大きな魚”は落合?【プロ野球はみだし録】

 

10人がドラフト外で入団


紆余曲折の末、巨人に入団した江川


 1978年の秋、ドラフト会議の前日に設けられていた、いわゆる“空白の1日”で江川卓と契約、ドラフト会議をボイコットした巨人。ドラフト導入から14年目、まだ制度も“抜け穴”だらけだった時代だ。

 その“抜け穴”を「強行突破」した巨人は、翌79年のキャンプ直前にエースの小林繁とのトレードという形で、ドラフトで交渉権を獲得していた阪神へ“入団”していた江川を獲得。開幕までの謹慎、開幕から2カ月の出場停止というペナルティーを経てデビューした江川は即戦力となり、この1年目こそ9勝に終わったが、2年目に16勝で最多勝、3年目には“怪物”の本領を発揮して20勝、防御率2.29で最多勝、最優秀防御率の投手2冠、MVPという大活躍。巨人も4年ぶりリーグ優勝、V9以来8年ぶりの日本一に輝いている。

 それだけではない。78年のドラフト会議をボイコットした巨人だったが、入団した新人が1人もいなかったというわけではない。当時はドラフト外でプロの経験がない選手が入団することも認められていた。

 ドラフト外で江川の“同期”となった選手は10人。そのうちの1人がリリーバーとして80年代の巨人を支えた鹿取義隆だった。そもそも江川との“空白の1日”の契約も、このドラフト外の選手としての獲得を目指したもの。78年の秋にドラフト会議をボイコットした巨人だが、戦力の強化には成功したといえそうだ。このドラフト外も、ある意味では“抜け穴”といえるのかもしれない。91年の秋には新人は必ずドラフト会議を経由することとなり、ドラフト外は廃止されている。

 ただ、ドラフトをボイコットしなければ巨人の指名を予定されていた、という話が残る選手は少ないながら存在する。そんな1人が落合博満だ。巨人が不在のドラフトでロッテから3位で指名され、入団。82年、85年から2年連続と、プロ野球で最多となる3度の三冠王に輝くことになる。もし巨人がドラフトで江川と落合の獲得に成功していたら、80年代のプロ野球は違った景色になっていたはずだ。ただ、江川は87年を最後に現役引退、その87年に中日へ移籍した落合はFAで94年に巨人へ加入している。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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