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日本人メジャーの軌跡

西の名門から東の名門へ。変わらぬ努力で先発二番手を務めた黒田博樹/日本人メジャーの軌跡

 

1年目の2008年に9勝だった黒田博樹。2年目は開幕投手に抜てきされたが、直後にワキ腹を痛めて約2カ月間離脱。さらに8月15日のダイヤモンドバックス戦では打球を頭部に受けて故障者リスト入りする不運に見舞われ、規定投球回数に至らず8勝に終わった。そして翌年の3年目から5年連続2ケタ勝利をマークすることになる。

衝撃的な日にも落ち着いて


ヤンキース時代の黒田


 メジャーで初めての10勝目は2010年8月30日のフィリーズ戦だった。この年21勝を挙げてサイ・ヤング賞に輝くロイ・ハラデーと投げ合い、8回二死までノーヒットノーラン。結局7回2/3を1安打、無失点に抑えたのだった。10年は11勝。シーズン終了後には3年契約を終えたドジャースと、1年契約を交した。そして翌11年は13勝をマークした。

 ドジャースでの4年間を終えると、12年1月にはヤンキースに移籍。「常にワールド・シリーズ進出を争う名門の一員になれてうれしい」と感想を口にしたものだ。松井秀喜がワールド・シリーズMVPに輝いたのが09年。そのときのメンバーが数多く残っていたヤンキースは、覇権奪還を使命としていた。そのプレッシャーを黒田は感じていた。

 先発陣ではC・C・サバシアに次ぐ二番手。ヤンキースで初登板となった4月7日のレイズ戦では敗戦投手になったが、登板2試合目となった4月12日のエンゼルス戦では、8回無失点で勝利を手にした。

 先発ローテを守り前半戦を8勝7敗、防御率3.50で折り返す。後半に入り3試合目の登板となった7月23日のマリナーズ戦で、3年連続の10勝に到達した。

 この試合ではイチローが電撃トレードでヤンキース入り。黒田としてはイチローと対戦するつもりでシアトルに来たところ、気づいたら自分の後ろで右翼を守っていたということだ。そんな衝撃的な日にも、黒田は落ち着いてマリナーズ打線を7回1失点に抑えた。

 後半戦は8勝4敗、防御率3.14。フィル・ヒューズと並びチーム最多の16勝をマークし、地区優勝に貢献した。プレーオフではオリオールズとの地区シリーズで第3戦に先発。8回1/3、2失点と好投。チームは延長12回、3対2でサヨナラ勝ちを収め、3勝2敗で勝ち抜いた。

 タイガースとのリーグ優勝決定シリーズでは第2戦に先発し、7回2/3を3失点も0対3で完封負け。4タテを食らい、3年ぶりのワールド・シリーズ進出はならず。黒田にとって、これがメジャーで最後のプレーとなった。

『週刊ベースボール』2021年9月27日号(9月15日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
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