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プロ野球はみだし録

荒木大輔の“外れ1位”が大当たり? 90年代のセ・リーグを支配した斎藤雅樹【プロ野球はみだし録】

 

甲子園と“キューポラのある街”


82年のドラフトでヤクルトから1位指名されて入団した荒木


 甲子園での大活躍、そして異常ともいえる人気はドラフトにも影響を与えてきた。日本ハムで引退を表明したばかりの“ハンカチ王子”斎藤佑樹は早大を経て2010年秋のドラフトで4球団が競合したのは記憶に新しい。時代をさかのぼっていくと、1969年の秋に近鉄からドラフト1位で指名された三沢高の太田幸司が第1号になるだろうか。ただ、このときは指名順抽選方式で、現在のような入札制だったら違った歴史の1ページとなっていたかもしれない。

 太田の人気、特に女性からの人気は尋常ではなかったが、それすらもしのぐフィーバーを巻き起こしたのが早実の荒木大輔だった。とはいえ、ドラフトは人気だけで指名する選手を決めるわけではない。荒木のドラフトは82年の秋だったが、抽選で外したことで結果的には高校生も1位で指名されたものの、このときのドラフトは8球団が大学生の選手を最初に1位で指名している。まだ若い荒木にはヤクルト、巨人の2球団が競合、交渉権を獲得したのはヤクルトだった。

 絶大な人気を誇る一方で、ドラフトでは何かと話題を振りまく巨人だが、クジ運の悪さも巨人の持ち味(?)。抽選で大当たりしたのは80年の秋、すでに“ジャイアンツ愛”を明言していた原辰徳と、92年の秋、復帰したばかりの長嶋茂雄監督が初仕事から“凄腕”を発揮した松井秀喜など数えるほどしかいない。ただ、82年の秋は“外れクジ”が大当たりだった。

 荒木を外した巨人が1位で指名したのが斎藤雅樹だ。このとき市川口高の3年生で、甲子園の経験もない右腕。当時の週刊ベースボールは「“キューポラのある街”の怪物クン」と斎藤を紹介している。大先輩たちの腐心が感じられ、川口市に鋳物工場が多かったことからの連想と思われるが……地味だ。だが、7年目の89年に20勝で大ブレークを果たした斎藤は、90年代だけで126勝、巨人ひと筋18年で通算180勝。3度の最優秀防御率、5度の最多勝に輝き、巨人の栄光に何度も貢献した。

 一方、当初は人気が先行していた荒木も徐々に力をつけて先発に定着。手術からの復帰で92年リーグ優勝の起爆剤となるなど印象的な活躍を見せている。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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