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編集部員コラム「Every Day BASEBALL」

壮絶な野球人生を全力で駆け抜けたヤクルト・雄平。野球とは「苦しいことも含めて楽しいもの」

 

剛球左腕として入団



 心優しきバットマンが引退を決断した。チームメートからもファンからも愛されたヤクルトの雄平は9月30日、二軍の楽天戦(戸田)で最後の打席に立つと、持ち前の豪快なフルスイングで空振り三振。雄平らしさを貫き、現役生活を終えた。

「もっとやりたい、まだやれると思える中でやめられるのも幸せなことなんじゃないかな、と」

 10月5日に行われた引退会見では晴々とした表情で19年間を振り返った。

 年が離れた後輩からも慕われ、屈託のない笑顔で誰とでもフランクに接する。だがプロ野球生活はその笑顔からは想像できないほど壮絶だった。

 2003年にドラフト1位で東北高から剛球左腕として入団した雄平。当時の背番号はかつて石井一久が背負った16番だ。だが制球難に苦しみ、09年オフに打者転向を打診された。高校時代から肩の強さと打撃センスには定評はあったが、それでもサイドスロー転向も考えるなど、投手としての道を断つのには時間がかかった。だが、だからこそ、決めてからは振り返ることも、わき道にそれることもなく、ただ真っすぐにその道をひた走った。

「一度はクビになったようなもの。とにかくやるしかないです」。

入団から7年間は投手だった


 野手としてのスタートを切った雄平は連日室内練習場に残り、打撃マシンと向き合い、誰よりもバットを振り込んだ。12年オフに一度、外野手とワンポイントリリーフの“二刀流”を打診されたことがある。しかし、「野手1本に専念させてください」と断った。そのときにはもう、覚悟は決まっていた。

 雄平には野手へ転向したときに決めたことがある。それは“全力疾走”だ。「技術はないけど走ることはできる」。実績を積み上げても年齢を重ねても貫いた信念。いつしか全力疾走、フルスイング、全力プレーという言葉は雄平を象徴するワードとなった。

「区切りのときは新しいスタート」


 少しずつ一軍で結果を残しはじめレギュラーをつかみかけた翌13年4月。悲劇が雄平を襲う。守備中にジャンプして捕球しようとした際、着地で右ヒザを痛め、後日検査を受けると右ヒザ前十字じん帯断裂と診断され、5月に手術を受けた。当時28歳。これからというときに起きたケガ。その悔しさは想像を絶するものだが、それでも真っすぐに、ひたむきに努力を続けた不屈の男は14年に復活を果たし141試合に出場、15年にはリーグ優勝に大きく貢献した。ファンならそのシーンを覚えていると思う。リーグ優勝を決めたのは、雄平のバットだ。苦しみ続けたプロ野球生活が報われた瞬間だった。

「苦しいこと、つらいことはありますが、それも含めて楽しいもの」

 引退会見で「野球とは」と聞かれた雄平は笑顔でこう答えた。全力疾走、フルスイング、野球が楽しくてしょうがない少年のような屈託のない笑顔。そのすべてが多くのファンの心に刻まれていることだろう。

 愛妻家でも知られる雄平が野手転向時、そして引退決断時に言われたという言葉。「区切りのときは新しいスタート」。きっとこれからも真っすぐに進んでいくはずだ。努力で自身の道を切り開いてきた雄平の今後の活躍にも注目していきたい。

文=阿部ちはる 写真=BBM
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