アフロにヒゲでも紳士的だった助っ人も
巨人ではヒゲを剃ってプレーしたシピン
「巨人軍は常に紳士たれ」
プロ野球の開始に先駆けて巨人の前身となる大日本東京野球倶楽部を結成した正力松太郎の遺訓にある言葉だという。プロ野球の選手は試合で決まったユニフォームを着るのは基本だが、それ以外にも外見に関して多岐にわたる制約があるのが巨人だ。「アメリカ野球に追いつき、そして追い越せ」というのも正力の言葉だが、V9という空前絶後の黄金時代には日系人の選手を含めて助っ人は皆無。これを“解禁”したのが第1期の
長嶋茂雄監督だった。
この“ミスター・ジャイアンツ”と呼ばれた男も現役時代はメジャー志向があったというから皮肉にも思えるが、長嶋監督が初めて就任して以来、巨人に助っ人が途切れたことはない。ただ、他チームと違って長いブランクがあったためか、当初は試行錯誤の連続にも見えた。獲得が再開されて4人目となる助っ人は、大洋(現在の
DeNA)で実績のあったシピン。打撃だけでなく強肩を利した二塁守備でもファンを魅了した助っ人だったが、そのトレードマークが”ライオン丸”と呼ばれる由来となったヒゲだった。
巨人でヒゲは原則的に禁止。来日6年目の1978年に巨人へ移籍すると、シピンはヒゲをバッサリと剃り落とした。だが、移籍1年目から内角球にイライラする姿が目立つようになり、移籍して間もない5月には古巣の大洋戦で死球を受けると投手の
門田富昭を馬乗りになって殴り、7月の
ヤクルト戦でも死球で投手の
鈴木康二朗に暴行。外見は“紳士的”になったかもしれないが、紳士とはいえない行動が続く。これで「シピンはヒゲを剃ったら、むしろ凶暴になった」ように見えてしまった。
大洋時代のシピン。立派なヒゲをたくわえていた
もともと
ヤンチャな男だったシピンだが、大洋ではアメリカ3A時代もチームメートで、メジャーの実績でも大先輩となるボイヤーの存在がブレーキになっていた。これは、のちにヤンチャなキャラクターで人気を集めた
クロマティと、先に来日していた
スミスとの関係性にも似ている。ただ、スミスのトレードマークといえるのがアフロヘアと口ヒゲ。その個性を容認された形となったスミスは、まさに“紳士”といえる助っ人でもあった。
文=犬企画マンホール 写真=BBM