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プロ野球はみだし録

“ライオン丸”に“紋次郎”。外国から来て時代劇の異名で呼ばれた助っ人たち【プロ野球はみだし録】

 

先輩は“紋次郎”



 前回、大洋(現在のDeNA)で“ライオン丸”と呼ばれたシピンについて紹介したが、この異名はトレードマークのヒゲが由来だ。ただ、若い人には“ライオン丸”といっても“元ネタ”がイメージできないかもしれない。“ライオン丸”とは当時、子どもたちに人気があった特撮ドラマの主人公のことだ。特撮ながら時代劇、という異色のドラマで、筆者も幼少期のうろ覚えながら、主人公の武士(忍者)が変身すると顔がライオンになり、続編では背中のロケットで空を飛んでいたような気がする。常識を超越し過ぎたようなドラマだったが、だからこそ、当時の子どもたちは夢中になって見たのかもしれない。

 時代劇が異名の由来と断言しにくいシピンの一方で、それが断言できる助っ人が2年だけ日本でプレーした時期が重なる阪神のカークランドだ。カークランドは1968年に入団。来日でも72年に入団したシピンの先輩にあたる。ライバルの巨人がV9を謳歌していた時期に、阪神の四番打者として強打を誇った長距離砲。クラウチングの打撃フォームも印象的だが、異名は“紋次郎”だった。これも若い人にはイメージできないかもしれない。“紋次郎”は時代劇『木枯し紋次郎』の主人公で、やたら長い楊枝をくわえた姿で視聴者を魅了していた。

 このカークランドもトレードマークは口にくわえた爪楊枝。なかなかの巨漢で、実際の紋次郎(?)のようにスマートな体系ではなかったものの、“紋次郎”と呼ばれてファンに親しまれた。カークランドは73年オフに退団。シピンも2チームながら9年と長く日本でプレーしたが、カークランドは阪神ひと筋、6年にわたってプレーしている。ちなみに、このカークランドが一貫して着けていた背番号が「31」。その後継者となったのが、ドラフト6位で入団したなかりの掛布雅之で、掛布は「31」を自身のトレードマークに昇華させている。

 外国人の選手なのに時代劇の異名、ということに違和感もあるかもしれない。ただ、助っ人は異郷の地から颯爽と現れたチームの救世主。外国が遠い存在だった当時、遠い昔の時代を舞台に活躍するヒーローとの親和性もあったのだろう。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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