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プロ野球はみだし録

願掛けで禁煙した巨人の新浦寿夫。でも長嶋監督は「ケツの穴からヤニが出るまで吸え!」【プロ野球はみだし録】

 

初の最下位からの巻き返しを懸けて



 巨人が初めて最下位に沈んだのが1975年。プロ野球が始まって40年目のことだから、戦争で休止を余儀なくされたこともあったとはいえ、これだけでも巨人が強いチームであり続けたことが分かる。長嶋茂雄が現役を引退し、そのまま監督に就任して1年目、いきなり初の最下位なのだから、当然、叩かれた。批判の矢面に立たされた選手の1人が左腕の新浦寿夫。2勝11敗と振るわず、それでも長嶋監督は新浦を使い続けた。この75年を新浦は「早くファームに落としてくれ、と思ったことがあります。野球の怖さが分かった1年でした」と振り返る。

 このときの投手陣は最下位にかけて“さい会”を結成。もちろん、翌76年シーズンの巻き返しを懸けてのものだ。そこで、「願掛けをしようという話になって、僕は1月1日からタバコをやめた。酒は、ビールくらいは飲みたいな、と控える程度でしたけど(笑)」という新浦。禁煙の前に嫌煙というような最近の感覚では信じられないかもしれないが、当時はプロ野球選手でも当たり前のようにタバコを吸っていた時代だ。「けど、長嶋さんに『禁煙しました』って言ったら怒られました。『全部、(巨人が最下位に沈んだのは)俺の責任なんだから、そんなことする必要はない。ケツの穴からヤニが出るまで吸え!』って(笑)」という。なかなか難しい注文だが(?)、願掛けが効いたのか、あるいはキャンプでの投げ込みが奏功したのか、新浦は「いい球がいくようになりました」と手ごたえをつかむ。

 迎えた76年は「完投した次の試合で、長嶋さんから『今日は(登板の予定は)ないけど、一応ブルペンに入っておいてくれ』って言われて、次の登板へ向けての予備運動くらいのつもりでいたら、試合の終盤になってブルペンの電話が鳴って、コーチが『すまん、お前だってさ』ということもよくあった(笑)」(新浦)とフル回転。それでも「つぶれてもいいや、という感覚でした。長嶋さんのために、というのが第一でした」と新浦。最終的には50試合の登板で11勝5セーブ、リーグ3位の防御率3.11で最下位からの逆転リーグ優勝に貢献している。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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