3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。 恵みの雨はどちらに
今回は『1973年7月2日号』。定価は100円。
初の2期制となったパ・リーグの前期決着が近付いている。
1973年のパは序盤からロッテ、太平洋クラブの躍進と抗争で沸かせたが、6月13日、いつの間にか首位に並んだのが
野村克也兼任監督の南海だった。
実は、序盤戦からロッテ・金田正一監督は南海を一番警戒。
「南海はええチームや。阪急や近鉄より要注意や。選手一人ひとりに個性がある。自分の役目を忠実に果たそうとしておる。だから隙がないんや」と言っていた。
一方、南海・野村克也監督は首位に並んだ13日、「目標はロッテだけや。ここまで来たらあと一戦必勝でいくほかない」ときっぱり言い切った。
ロッテは6月15日からの阪急(西京極)との3連戦で最初に試合には勝ったが、16日のダブルに連敗し、ついに2位に落ちた。特に投手陣の疲労蓄積は顕著。
金田監督は珍しく思いつめた顔で、「やっぱりうちには、それほどの力はなかったのかもしれないな。これから後期に向けてスタートする」と言った。事実上敗北宣言だが、残り11試合を考えればかなり気が早い。ただ、同日の1時間後、南海が太平洋に負けたと一報が入ると「そうか! 負けたか」と目に精気がよみがえる。
さらに翌17日の試合が雨で流れると、別人のようにはしゃいだ。
「最高の雨や。こんなうれしい雨はない。ありがとうございまーす」
2日後、19日からは南海との3連戦。まさに最後の天王山だ。
大阪での試合なのでホテルは京都のまま。ただ金田監督は午前11時に試合中止が決まると、大広間に選手を集め、「妻帯者は東京に帰って、ゆっくり休んでこい。女房、子どもの顔を見たらまた気分が変わるやろ」
5月31日から遠征がスタート。心身ともに選手の疲労がたまっていたのは事実だ。21人が帰京し、費用25万円はもちろん球団持ちとなる。
「小さいこと言うな。それだけのお金で選手が気分転換できるんだ。これほど安いことないで」
ただし、翌18日には集合命令。「きつい練習をやったる」。
対して野村監督は余裕の表情。
「うちは割合本拠地に強い。しかもいまのゲーム差を考えると、ロッテ戦は1勝2敗でいける星勘定になる。投手陣もロッテに対しては苦手意識は持ってないようやから、気分的にはうちが優位やな」
唯一の不安は抑えの
佐藤道郎。5月30日のロッテ戦から3試合連続サヨナラ本塁打を浴び、14日には右人差し指を痛めた。以来、登板がない。
「これからのポイントは佐藤が握っているんや。あいつが悪いときはチームも悪いからな」と野村監督は話していた。
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM