“新庄劇場”のラストシーンも
西武の
松坂大輔が引退に向けてプロで最初に背負った「18」に背番号を変更、ファンの前で最後の雄姿を見せた。この背番号は球界のエースナンバーといわれるものではあるが、それ以上に、自身がプロのキャリアをスタートさせ、一気にチームの主力へと駆け上がり、一時代を築いた自身の象徴という意味が強いだろう。球団にとってはファンサービスという面もあるかもしれないが、松坂にとっては原点回帰でもあったはずだ。
最近は傾向が変わりつつあるが、古くから背番号は小さい数字のほうがいい番号とされてきた。第一線で活躍を続けて背番号を小さくした選手が、ラストシーンが近づきつつあるとき、プロとしてデビューを飾った背番号に戻す、ということは過去にもあった。これはメジャーから
ヤクルトへ復帰した
青木宣親のようなケースとは異なる。ちなみに青木は、デビューした2004年から6年間「23」で過ごして“ミスター・スワローズ”の背番号とされる「1」に変更、復帰した18年から現在に至るまで「23」を着けているが、これは「1」を
山田哲人が継承、「23」では青木の後継者だった山田が「1」となってから「23」が空席だった、という奇跡のような軌跡があった。
「この背番号で終わろうと思っていた」と明言しているのが横浜(現在の
DeNA)の
佐伯貴弘。強打者の系譜である「26」でデビューした佐伯は、9年目の01年に左の強打者を象徴する「10」に変更したが、引退を視野に入れて07年には「26」に戻した。だが、11年に
中日へ移籍、背番号も「7」となって引退。やはり新天地の背番号で自身の原点回帰、というのは運も必要なのだろう。
とはいえ、これをやってのけた男もいる。SHINJO(新庄剛志)だ。メジャーから日本ハムへ移籍して「1」でプレーしていた新庄は、06年の公式戦最終戦でデビューした
阪神で着けていた「63」に。これで「63」だった
渡部龍一は1日だけ“剥奪”、新庄の「1」ではなく空席だった「68」へと変更となった。ただ、新庄は何事もなかったかのように(?)プレーオフ以降は「1」に戻して、チームを日本一へと導いている。
文=犬企画マンホール 写真=BBM