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プロ野球記録ノート

チーム最多本塁打1ケタを回避した日本ハム。91年広島は最多11本の“異色の優勝”【プロ野球記録ノート】

 

パ・リーグで唯一の2ケタ


10月20日の西武戦で今季10号アーチを放った近藤


 日本ハム近藤健介は10月20日の西武戦(メットライフ)で今季10号の本塁打を放った。近藤自身初の2ケタ本塁打(最多は2018年の9本)だが、日本ハムとしてもチーム137試合目で初の2ケタ本塁打打者のとなった。チーム本塁打も75本(10月25日現在)でパ・リーグでは唯一の2ケタで最下位。5位の楽天にも33本の差をつけられている。

 昨年は主砲の中田翔がリーグ2位の31本塁打を放ち、リーグ最下位だったもののチームは89本塁打で、ロッテオリックスとは1本差だった。だが今季は中田翔が開幕から不調、故障も重なり前半を終わった時点で4本塁打。その後不祥事が発覚し謹慎、巨人へのトレードとなった。中田に代わる大砲も現れずチームも低迷した。残り3試合あるが、日本ハムのチーム最多本塁打が15本を下回ったのは前身の東映時代の1959年、ルーキーだった張本勲の13本以来実に62年ぶりのことだ。この当時は本塁打が少なかった時代で、この年は東映のほかにも近鉄・小玉明利=12本、国鉄・箱田淳=11本と3球団が最多15本未満だった。

 1960年以降でチーム最多本塁打が15本未満だったのは21例あるが、12本以下だったのは(カッコ内はチーム順位)、

 1961年 近鉄(6位) 小玉明利、関根潤三矢ノ浦国満=9本
 1961年 国鉄(3位) 佐藤孝夫=11本
 1962年 阪急(5位) 中田昌宏=12本
 1962年 近鉄(6位) ジャック・ブルーム=11本
 1987年 ロッテ(5位)古川慎一=12本
 1991年 広島(1位) 江藤智=11本
 2011年 楽天(5位) 山崎武司=11本
 2011年 ロッテ(6位)井口資仁=9本
 2012年 楽天(4位) 牧田明久松井稼頭央=9本
 2012年 ロッテ(5位)井口資仁=11本

の10例となる。

 61、62年は前述とおりまだ本塁打が少ない時代だったがその後、各チームともにパワーのある外国人獲得し、本塁打の数は増えていった。70年代のチーム最多の最低は78年の南海の15本(片平晋作門田博光)で、20本未満は延べ120チームでたったの6チームしかない。80年代も同じ傾向で、延べ120チームで20本未満は7チーム。この中で久々に12本を記録したのが1987年のロッテだ。前年は落合博満が2年連続三冠王を獲得し50本塁打、10年目の助っ人・リーも31本を放っていた。しかし落合が大型トレードで中日に移籍。リーも39歳の大ベテランでこの年は来日以来初めて1ケタの9本塁打に終わった。

ポスト・落合と期待された古川だったが87年は12本塁打


 86年のルーキー・古川慎一が96試合で16本塁打を放ち、ポスト・落合と期待されたが、この年は12本塁打。これがチーム最多でチーム本塁打は104本と5位と28本離された最下位だった。ロッテは翌88年もこの状況は解消されず、メジャーから首位打者4度のマドロックを獲得したがすでに37歳。チーム最多本塁打を放ったものの19本に終わった(メジャーの最多も82年のパイレーツ時代の19本)。70〜80年代で2年連続で最多が20本に届かなかったのは、このロッテだけだ。

規定打席未満がチームトップ


91年に優勝した広島だがチーム最多本塁打は江藤の11本だった


 91年の広島は高卒3年目の江藤智が11本塁打を放ってチームトップになった。江藤は91試合に出場したが、打席数は規定未満の317。規定打席には5人が到達したが、この中のトップは10本の野村謙二郎だった。ただ、このときの広島はリーグ優勝を果たしている。ベテランの北別府学、左腕の大野豊、川口和和久、2年目でMVPを獲得した佐々岡真司、と投手陣が充実していて長打不足を感じさせなかった。2リーグ制後、最多15本未満の優勝チームは53年の巨人の12本(千葉繁、樋笠一夫)、55年の巨人の13本(与那嶺要)の2度で、90年代の11本というのは異色の優勝と言える。

 その後、20年間12本以下というチームはなかったが、2011年に2チームが12本以下を記録した。この年から低反発統一球を採用。10年の本塁打数は1605本だったが、939本と前年の約59%までに落ち込んだ年だ。その影響が大きく出た球団があった。チーム本塁打のワースト3は、ロッテ46本、広島52本、楽天53本。パ・リーグの本塁打王の西武・中村剛也が48本を放ったが、ロッテはそれよりも少なく話題になった年だ。そのロッテの最多は現監督の井口資仁で9本。前年の10年は3位から日本一に輝いたが、そのときのトップは助っ人の金泰均の21本。もともと本塁打が多いチームではなかったが、チーム最多が1ケタは61年の近鉄以来50年ぶりの記録だった。翌12年もロッテは井口の11本が最高だったが、この年は楽天が9本を記録している。

 今年の日本ハムはこの楽天以来の「最多本塁打1ケタ」は回避したものの長打力不足は露呈した形となった。栗山英樹監督が就任した12年からのチーム最多&2位の本塁打は以下のとおり(☆は本塁打王)。

 12年 中田翔 24本  ホフパワー 14本
 13年 ミチェル・アブレイユ 31本☆ 中田翔 28本
 14年 中田翔 27本  陽岱鋼 25本
 15年 レアード  34本  中田翔 30本
 16年 レアード  39本☆ 中田翔 25本
 17年 レアード  32本  中田翔 16本
 18年 レアード  26本  中田翔 25本
 19年 中田翔 24本  大田泰示 20本
 20年 中田翔 31本  大田泰示 14本
 21年 近藤健介 10本  王柏融  9本

「日本ハムファイターズ」になったのが74年で東京を本拠地(後楽園、東京ドーム)とした30年間でチームトップの本塁打は日本人9人、外国人25人(同数タイが4年)と圧倒的に「大砲」は外国人に頼ってきた歴史がある。それが北海道に移った04年から昨年までは日本人10人、8人(同数タイが1年)と明らかにチームの方向性は変わった。栗山監督が退任して、新監督を迎えるチームは「主砲」をどういう形にするのか注目したい。

文=永山智浩 写真=BBM
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