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二刀流だけではない。ショートスターターの元祖も三原脩監督だった/週べ回顧1973年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。

ついにペピトーンがやってきた!



 今回は『1973年7月9日号』。定価は120円。

 開幕から泥沼の連敗が続いていた三原脩監督率いるヤクルト。5月21日時点で5勝20敗2分けというからすさまじい。5月14日には三原監督が松園オーナーに進退伺も出している。

 ここで三原監督はとった策がショートスターター。プロ1年目(71年ドラフトで指名され、前年オフ入団)の小林国男を3イニング投げさせたあと、松岡弘につなぐパターンで3勝0敗。5月22日から6月21日まで17勝8敗でいまだ最下位ながら首位中日の差は7としている。

 中西太コーチは、「あいつはうちの福の神だよ。先発してたった3イニングしか投げないのにと軽く言う人がいるかもしれんが、その3イニングをピシャリと抑えることの意味がどんなに大きいか。最近のうちの成績を見れば分かるだろう」

 小林には、こんな口癖があったという。

「三度三度の飯を満足に食えないほどつらい苦労はない。それに比べたら、野球の苦労など苦労のうちに入らない」

 父親が酒におぼれ、母親が朝から晩まで働いて育ててくれた。小学4年のとき、朝は豆腐屋、学校のあとには八百屋の店番のアルバイトをしたときがある。

「お金をもらうと母親に差し出した。大喜びをしてくれると思ったんですが、おふくろはこっぴどく怒って、子どものクセにそんなことは心配せず、勉強しろって。僕が泣き出すと、おふくろも涙をボロボロ流して、苦労かけてごめんねって……」

 プロ野球を目指したのも、「もっと母を楽にさせてあげたい」という思いからだった。

 さらに三原監督は開幕から大不振が続いていた38歳のロバーツに見切りをつけ、フロントに「強打の外人を獲得してほしい」と要請した。

 代わりの候補となったのがペピトーンだ。ヤンキースのスター選手で、このときはブレーブスにいた。

 球団は入団7年目の功労者、ロバーツに二軍打撃コーチ就任を要請したが、給料を聞き、「僕、子どもが4人もいる。それではとても生活できないよ。まだ技術的にも体力的にも自信があるのでトレードに出してほしい」と話したという。

 ペピトーンは6月19日来日。羽田空港には三原監督以下、球団のお偉いさんが出迎えたが、検疫所に引っかかって、なかなか出てこなかった。なんと愛犬を連れていたのだ。しかも独身の触れ込みが金髪のお嬢さんと同行。尋ねると「俺の婚約者だ」とウインクした。

 では、また。

<次回に続く>

写真=BBM
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