“灰色”から黄金時代への急展開
昨日の衆議院議員総選挙で、政治を託したいどころか、絶対に託したくない候補者しかおらず、最高裁判所の裁判官ではなく、小選挙区の候補者や比例の政党に×をつけたいと思った人も少ないながらいるのではないか(いない?)。また、最高裁の裁判官を信任する場合は○をつける必要がないから紛らわしい。
一方、プロ野球の監督は“民意”を反映するものではない。ここ数日も
日本ハムで
新庄剛志監督、
中日で
立浪和義監督、
ソフトバンクでは
藤本博史監督と、新監督の就任ラッシュとなっているが、ファンはもちろん、選手が投票で決めたものではないはずだ。過去、監督の去就が選手たちによる“クーデター”に影響されたことは少ないながら例があるが、明確に投票が行われたとされるのは一例のみ。1966年の秋のことだ。球団は、この2021年のパ・リーグを制した
オリックスの前身、阪急。投票を呼び掛けたのは就任4年目の西本幸雄監督だった。オリックスはバファローズとなって初優勝、オリックスとしては95年からの連覇があったが、黄金時代もあったのが阪急。その礎を築いたのが西本監督だったが、66年の阪急は創設30年を過ぎても優勝ゼロ。黄金どころか“灰色”と揶揄されるチームだった。
就任して早々、優勝を知らない阪急ナインに“正しいキャッチボールの仕方”から指導した西本監督にとっては、最後の賭けだったのかもしれない。「ついてくるか、こないか。○か×を書け。お前たちで決めろ」と選手に突きつける。最高裁の裁判官と違って、西本監督を信任するためには○を書く必要があった。結果は○が32、×が7、白票が4。これに西本監督は「白紙を×(不信任)と考えると11名もいた。これでは(監督を)やれない」と辞意を表明する。
たかだか5割に満たない投票率で最多の票を獲得して「国民の皆さんから信任を得た」などと鬼の首でも取ったようになる政治家とは違って、投票では圧倒的な信任を得ても自らを“不信任”としたのだ。最終的には小林米三オーナーの熱心な慰留で続投。“灰色”の阪急が一転、初のリーグ優勝を飾って黄金時代へ突入するのは、翌67年のことだった。
文=犬企画マンホール 写真=BBM