3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。 2位ながらロッテにマジック
今回は『1973年7月23日号』。定価は100円。
1973年7月4日、大阪の日中の最高気温は32.3度、夜になってもうだるような暑さが続いた。
南海の前期優勝マジックは2。この日、大阪球場での試合で日拓を下し、
ロッテが近鉄に敗れると南海の優勝が決まる。互いにナイターだった。
5回裏、南海は0対2とリードされていた。球場に表示された他球団の途中経過では、大阪球場から車で15分ほどの日生球場で行われていた近鉄─ロッテ戦は0対0。しかし、スタンドでラジオを聴いていた人が、「2対0で近鉄のリードや」と言い、スタンドの応援が一気ににぎやかになった。
南海は6回裏、足を絡め同点に追いつく。7回裏には投手の
山内新一が勝ち越しタイムリー。スタンドは優勝したかのような大騒ぎとなり、バックヤードでは優勝祝勝会の準備が始まった。
しかし8回になって山内が
大杉勝男にホームランを浴び、同点。速報版ではロッテが追いついた知らせもあった。
ここでベンチ前では
佐藤道郎が準備していたが、野村監督は13勝の山内を胴上げ投手にと温情か続投。裏目に出て9回表に3点を失った。
そのまま敗戦。まだロッテは同点のままだったが、「時間的に引き分けが濃厚やな。本拠地での望みはなしか」と野村監督は、ため息交じりで話した。
そのとおりに引き分けに終わったロッテ・
金田正一監督は、「きょうだって勝つに越したことがなかったけど、負けなかったことがなぐさめや。けど、南海はあせっているやろうな。うんと苦しめばいいんや」と言いながらも、「あした南海が負ければ、うちが残りを全部勝つ。4連勝すればいいんや。大丈夫、10連勝したことがあるんやから」と自身に言い聞かすように言った。
翌5日、ロッテは試合なく日生球場で練習。そのあと夜になって南海が敗戦の報が届く。日拓の新人・
新美敏の完封だった。
「いったいどういうことや。こんな素晴らしいペナントレースはワシの長い野球人生の中でも経験ないよ。まさに野球はドラマや。おい、ワシは胸を締め付けられるようや。どないしたらいいんや」
金田監督は大興奮。ロッテは残り4試合でマジック4となった。
6日、ロッテは西宮の阪急戦。金田監督は打撃練習中に阪急・
西本幸雄監督のもとへ行き、「西本さん、きょうはよろしくお願いします。なにせ神宮を満員にせにゃならんですから。神宮が満員になったらお中元贈りますから、きょうはお願いしますよ」と言った。ロッテの最後は神宮での日拓3連戦だった。
西本監督はこれには答えず、「ご苦労さんやったな。後期も頼むぜ」 とだけ言うと金田監督は、「その代わり後期は独走したらあきまへん。阪急が走るとお客さんが入らん」これには2人で大笑いだった。
ロッテ先発は
成田文男で中1日。「疲れているのは分かる。今の阪急を抑えられるのはお前しかおらん。いけるところまで死ぬ気でやってくれ」と言った金田監督に対して成田は「やりましょう。けど、そう簡単に変えないでくださいよ」と言い、実際、試合中、ベンチから出ようとする金田監督を手で制すシーンがあった。
試合は成田の好投で2対1の勝利。金田監督は言う。
「マジック3? マジックなんてわかるかい。残された試合に全力を尽くすだけや」
対して南海は8日の太平洋戦に勝利し前期閉幕。
「もう未練はない。天命をゆっくり待つさ」
野村監督は静かに語った。
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM