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プロ野球はみだし録

パ・リーグだけプレーオフで優勝チームが決まっていた20世紀の10年間【プロ野球はみだし録】

 

1年目から“死んだふり”のドラマも


73年、プレーオフで阪急を下して優勝に輝いた南海


 この2021年もクライマックスシリーズ(CS)が始まっている。これは2007年からの名称で、両リーグ共通して第1、第2ステージを戦うのが新しい試みだった。これに先駆けて、球界再編の嵐が吹き荒れた04年から06年までパ・リーグのみで行われていたのがプレーオフ。まさにそのものという分かりやすい名称で、ペナントレースが終わって、その上位3チームで戦って優勝チームを決めるというシステムは、弱冠のルール変更はあれど、ほぼ形を変えず現在に至っている。

 ただ、パ・リーグには20世紀の昔、プレーオフを導入した実績があった。現在の感覚からは信じられないかもしれないが、“実力のパ”、つまり、人気の低迷に悩み苦しんでいた時代のことだ。システムは21世紀のプレーオフに比べてシンプルに見える。手短に紹介すると、ペナントレースを前期と後期に分け、それぞれのリーグ戦で優勝チームを決めて、その両者がプレーオフで雌雄を決するスタイルだった。導入されたのは1973年で、当時は阪急(現在のオリックス)の黄金時代だったが、この73年の前期を制したのは南海(現在のソフトバンク)。ほとんどのチームが短期決戦というイメージで臨んだ一方で、兼任監督の野村克也が通年のシーズンと戦略を変えなかったことで覇権を手にした結果だった。さすがに後期は阪急が制したものの、その後期は阪急に1勝もできなかった南海がプレーオフを3勝2敗で制してリーグ優勝。これは“死んだふり優勝”といわれ、導入1年目からドラマチックな展開だった。

 とはいえ、前期と後期を同じチームが制覇してしまうと、プレーオフ自体が“消滅”してしまうのが欠点だったのかもしれない。76年、78年は阪急が前期と後期を制してプレーオフなし。83年には1シーズン制に戻し、それでも「1位と2位のチームが5試合を戦って逆転する可能性があればプレーオフ」という可能性を残したものの、阪急に代わって黄金時代に突入した西武の圧勝で幻となっている。

 まだテレビ中継が全盛期を迎える以前のこと。このパ・リーグのプレーオフに立ち会うことができたファンは幸せだ。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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