3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。 二匹目のドジョウはいるのか
今回は『1973年8月13日号』。定価は100円。
惜しくもV逸とはなったが、前期の全日程を終えた7月12日夜、ロッテ・金田正一監督は選手全員を連れ、銀座のクラブに繰り出した。
「ようやった。ごくろうさん!」
と金田監督。別にお姉さまたちと楽しむだけではない。出前を取ったのか、シェフを呼んだか、ビフテキ食べ放題のドンチャン騒ぎだったという。
そのうちの金田監督が自らマイクを持ち、「花も嵐も踏み越えて、ゆくが男の生きる道」と1曲歌ったあと、
「この歌は前期の歌、後期はこれでいくで!」
と次は、
「仰げば尊し、わが師の恩」
と歌い始めた。わが師って誰? とばかり不思議な表情となった選手に、
「いいか。ものごとすべて目標に向かって死に物狂いでやってこそ人生や。後期を終わったら、みんなでこの歌を歌って神様に感謝の気持ちを表すんや。それには優勝しかない」
と言った。わが師、そして神様とはファンのことだった。
7月27日、ロッテの後期の開幕は
土橋正幸監督、
張本勲ヘッドコーチで新体制となった日拓戦(神宮)だった。
最後、日拓に敗れ前期優勝の夢をたたれたこともあって、金田監督は、
「うちの優勝を邪魔した日拓は必ずたたく。そこで決勝ホームランを打った張本はにっくき敵だ。後期は張本抹殺作戦や」
と言って、後期までのサ
マーキャンプでは、投手に内角を攻めさせるため、打席に立たせる「張本人形」を運動具店に依頼した。しかし趣旨が分からなかったのだろう。届いたのはイベントなどに使うようなベニヤ板のもの。カネやんは、
「べニア板じゃ張本の出っ張ったお腹の感じが出んし、せっかくすれすれに投げ込んでやろうと楽しみにしていたうちの投手の度胸付けにもならん。それより、わら人形のほうがいい」
と今度はわらで張本人形をつくらせ、「ぶつけてもいいぞ」と投球練習で使った。
1戦目、宣言どおり張本への際どいインコース攻めがあり、6回には張本が「かすった」というアピールで死球が宣告された。
これに金田監督がベンチから飛び出し、「当たっとらんやろ」と抗議。手は出さんということなのか、両手を広げながら胸で球審を押す。そのあとしばらくして退場処分。審判は、
「最初は手を出さなかったが、完全にこっちを突いてきた。だから退場にした。
コールの時間がちょっと遅れたのは、相手がタレント監督でファンを喜ばせている人だし、それがリーグのためになっているんだから、できれば退場させたくないと思ったからだ」
と説明。対して金田監督は、
「お粗末な審判や。こっちが声だけでアピールしているのに、真っ青になって何もようしゃべれん。野球を知らんのと違うか」
結果、同試合は金田監督の実弟・
金田留広の好投で日拓が勝利、続く試合はロッテが9対1と快勝で1勝1敗に終わった。
ロッテファンが日拓の土橋監督に向かって物を投げ込むなどの騒ぎはあったが、太平洋戦と比べれば、さほど殺伐とはしなかった。
正直なところ、これは、やや太平洋との遺恨バブルの二匹目のドジョウ狙いの雰囲気もあったが(遺恨試合で大盛り上がりだった)、果たしてどうなるのか。
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM