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川口和久WEBコラム

「耐えて勝つ」大恩人・古葉竹識さんへの感謝/川口和久WEBコラム

 

任せてもらった巨人戦


古葉監督[右]と筆者


 古葉竹識さんが亡くなられた。

 俺にとって野球人生最大の恩師だ。

 1980年のドラフト会議で原辰徳さん(東海大─巨人)の外れ1位でカープに入団した。本当はドラフト外のはずが、古葉さんの鶴の一声で1位になったと聞いた。

 当時のカープは2年連続日本一にはなったが、古葉さんは、そのあとのチームづくりを考えていて、ドラフト会議の直後だったと思うけど、その原動力であった左腕の江夏豊さんがトレードで移籍。私のほかにドラフト外でも左腕の山本和男さんを獲得して、山本さんには江夏さんの背番号26を着けさせている。

 1位で左腕を補強したということで、ファンやチーム内の「江夏が抜けてどうなる」という心配の声を少しでも薄くしようと思ったのかもしれない。

 実際には左腕で江夏さんの弟子だった大野豊さんが抑えになったけど、俺にも、

「江夏を出したんだ。お前は代わりにやってもらわないと」

 と言われ、ビビった記憶がある。あんな大投手の代わりが俺みたいな新人に務まるはずないと思ってね。

「耐えて勝つ」が座右の銘で、これは粘って粘って最後に勝利するという意味と、選手育成の両方だと思う。

 高橋慶彦さんが猛練習でショートの定位置とスイッチをものにした話は有名だけど、かくいう俺もそうだったと思う。球は速いけどノーコンで変化球はカーブしかない。こんな俺を我慢して使ってくれた。

 一番覚えているのが、83年6月24日の巨人戦(広島)だ。それまでほかのチームには勝っていたけど、巨人だけに勝てず、あの試合も初回から原さんに2ランを打たれて、もう交代かなと思ったら古葉さんが、

「川口、この試合はお前にやる。最後まで投げなさい」

 と言ってくれ、完投勝利。これが巨人戦の初勝利だった。当時の巨人は左に弱かったし、古葉さんは、俺を巨人戦の切り札に育てたいと思ったのかもしれない。

 そのあと結婚式では仲人もしてくれたし、よく殴った、蹴ったという話もあるが、俺は一度も怒られたことはない。あ、門限破ったときの一度以外はね(笑)。

 古葉さんが球界に残したものは大きい。機動力野球、守備から組み立て守り勝つ野球は、今の佐々岡カープでも土台になっていると思う。

 ご冥福をお祈りします。
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