3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。 広島商を意識し「今度こそは」
今回は『1973年8月20日盛夏特大号』。定価は120円。
1973年、第55回夏の甲子園大会の出場校が出そろった。
注目は栃木・作新学院高のエース、江川卓。記念大会で各都道府県1校の出場だったが(北海道は2校)、栃木大会5試合で3度のノーヒットノーラン。44イニングで奪三振75、失点、自責点0というからすさまじい。
大会関係者は、「よかった。ほっとしました」と口をそろえる。怪物江川がいるいないは、大会の盛り上がりを大きく左右すると言われていたからだ。
江川は言う。
「僕たち高校野球をやっているものの終着駅は甲子園で勝つことです。春のセンバツのときは、まだ夏があるという軽い気持ちでした。でも、これが最後と思うと、うれしさより先に身が引き締まる思いです」
記者によれば、いつもクールな江川の表情が変わったのは、7月29日、
広島商が出場を決めた知らせを聞いたときだという。センバツで敗れた相手だ。
「当たったら負けたくない。試合だから負けないと断言はできないが、ぶつかった以上勝ちたい」
珍しく口調が熱くなった。
ただ、栃木大会での江川はセンバツより球が遅くなった、という声もあった。
作新の山本監督は、「センバツまでは全力投球だった。とにかく馬車馬みたいに力いっぱい投げていました。だが、いまの江川はある程度、うまみが加わり、勝つピッチングに徹して非常に安定感がある」
課題は栃木大会で1試合平均4点弱だった打線だ。山本監督は、「打てないのはいまさら言っても。その分を機動力でカバーする」と話す。
江川は、「高校時代の最後。持てる力を全部出して投げまくります」 と燃えていた。
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM