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プロ野球はみだし録

第1位は「一言多十」? “しわしわネーム”の時代、登録名の“自由化”よりも前にいた“珍名”選手【プロ野球はみだし録】

 

戒能朶一は名古屋(中日)の正二塁手


94年、オリックス鈴木一朗が登録名を「イチロー」としてから“自由化”が加速した


 前回、オリックスでイチローが登場してから登録名の“自由化”が加速したことは触れたが、近年は手書きでは書けないような漢字を用いた名前の選手も少なくなく、本名であっても油断ならなくなってきている。だからといって昔は昔で、よく見かける名前にも漢字の使い方で複数のパターンがあって、「けんじ」「こうじ」「じろう」「ひろゆき」「まさお」(アイウエオ順)などは、この仕事ではミスの温床にもなりかねない名前だ。

 いわゆる“しわしわネーム”も最近の“きらきらネーム”も、苗字は一般的……というか、一度は見たことがある、書いたことがあるというものがほとんど。氏も名も珍しいという選手は、その存在だけでも珍しい。手元に2014年の『日本プロ野球歴代全選手名鑑』という本がある。さすがに一軍でプレーした選手のみになるが、1936年から2014年までの6257人にもなる選手たちの写真名鑑だ。これを参考にしてみたい。ここでは外国人の選手は除外して、日本人の選手だけを対象に、珍しい氏名の選手を探してみる。

 珍名選手として有名(?)なのが「一言多十」だ。四字熟語の一言居士は「いちげんこじ」だが、「ひとこと・たじゅう」と読む。戦後、1946年にセネタース(現在の日本ハム)の結成に参加した右腕で、1年目は6勝、2年目までは外野手としても出場して2年連続で規定打数に到達。当時は一定数いたものの、球史を通しては珍しい“二刀流”の選手でもあった。48年オフに退団も、2リーグ制となった50年に阪急(現在のオリックス)で復帰して1年で引退、と経歴も珍しい。

 さらにさかのぼっていくと、プロ野球が始まって2年目の37年に大東京(のち松竹となり大洋と合併、現在のDeNAに)入団、当時は珍しかった本塁打も放った煤孫伝(すすまご・でん)がいる。当時は春と秋の2シーズン制で、煤孫は38年の春を最後に引退。入れ替わるように名古屋(現在の中日)入団、二塁手として秋季の全試合に出場して、40年までプレーしたのが戒能朶一(かいのう・だいち)だ。

 今回も3人を紹介しただけで紙幅が尽きた。もちろん手抜きではない。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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