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国内でわずか1人しかFA移籍が成立しなかったシーズンは過去何度あった?

 

 今オフは、FA市場の目玉とされた選手が次々に残留を表明。FA宣言をした選手で移籍先が決まっていないのは現在のところ又吉克樹(中日)のみという状況だ。昨季もFAでの国内移籍は2人と少ないシーズンだったが、今季は「1人だけ」になる可能性が高い。では、過去に国内チームへのFA移籍が成立したのが「1人しかいなかったシーズン」は何度あったのだろうか?

FAが始まって28年間で国内移籍1人は3度発生


 FA制度がスタートした1993年から2020年までの28年間で、「国内のチームにFA移籍した選手が1人しかいなかったシーズン」は何回あったのかを調べてみた。その結果は以下のとおり。

●1998年
武田一浩(ダイエー⇒中日)

●2000年
川崎憲次郎(ヤクルト⇒中日)

●2003年
村松有人(ダイエー⇒オリックス)

 国内の他チームにFA移籍した選手が「1人しかいなかったシーズン」は、過去28年間でわずか3度しかない。しかも、3回すべてが旧FAルール(権利取得期限や補償対象選手などのルールが異なる)だった2007年以前のものだ。

中日・武田一浩


 1998年は西武潮崎哲也、ヤクルトの飯田哲也阪神八木裕ロッテ初芝清など7選手がFA宣言をしたが、このうち5人がチームに残留。オリックスの木田優夫はMLBへと移籍したため、国内チームにFA移籍したのは武田一浩のみだった。

 武田は、球団から慰留の声もあったが、最終的に中日への移籍を決断。実は日本ハム時代の1995年に中日との間でトレードの話が出ていたが、このときは実現せず。それから3年を経ての中日入りとなった。移籍後は先発ローテの一角として1年目に9勝を挙げるも、その後はケガで低迷。2001年オフに自由契約となり、巨人に加入後に引退している。

中日・川崎憲次郎


 2000年はヤクルトの川崎憲次郎、阪神の新庄剛志矢野輝弘、日本ハムの奈良原浩など6選手がFA宣言。このうち新庄はMLBに移籍し、矢野や奈良原など4選手は残留。国内の他チームへFA移籍したのは川崎ただ1人だった。

 2000年にFA権を取得した川崎は、残留、移籍、海外挑戦の3つの選択肢があったが、球団側の態度に難色を示し移籍を決断。最終的に、早い段階からラブコールを続けていた中日への移籍を決めた。しかし、中日1年目のオープン戦で肩を痛めそのまま長期離脱。2004年にようやくマウンドへと戻ったが、結局3試合に投げたのみで引退した。

正真正銘の「FA移籍成立が1人だけ」となるか


オリックス・村松有人


 2003年は全部で5選手がFA宣言をした。このうち、西武の松井稼頭央、ヤクルトの高津臣吾はMLBに移籍。阪神の伊良部秀輝下柳剛は残留したため、国内FA移籍が成立したのはダイエーの村松のみとなった。

 2003年の村松は、ダイハード打線と呼ばれた強力なダイエー打撃陣の切り込み役として打率.324をマーク。球界トップクラスのリードオフマンがFA宣言したことで争奪戦となったが、最終的にオリックス入りが決まった。移籍後も3割を2度記録するなど活躍したが、2008年に若手の台頭で出場機会を失ったこともあり、トレードでソフトバンクに加入。古巣復帰となったが、残念ながら好結果を残せず2010年に引退している。

 1993年にFA制度がスタートしてから、国内へのFA移籍が1人しかいなかったのは3度という結果になった。しかし、いずれも海外チームへとFA移籍した選手がおり、「海外FA込み」では「1人だけ」とはならない。

 しかし、今季はFA宣言選手で去就が不透明なのは国内FA権を持つ又吉のみ。海外FAは成立しないため、又吉のFA移籍が決まった場合は、正真正銘の「FA移籍成立が1人だけ」という年になる。また、又吉が残留した場合は「FA移籍0人」となり、これもNPB初。果たして又吉は移籍か残留か、今後の展開に要注目だ。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM
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