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プロ野球はみだし録

トレードの“通告”と“うかがい”。淡口憲治の場合は「どう考えても身代わりですけどね(笑)」【プロ野球はみだし録】

 

「1週間、返事を待ってほしい」


85年オフに近鉄へのトレードを“通告”された淡口


 巨人定岡正二が近鉄へのトレードを拒否して現役を引退した1985年オフ。このときのことを、2015年のインタビューで「当時、トレードには“通告”と“うかがい”があって、“うかがい”の場合は断ってもいいけど、“通告”は行かなきゃならない。でも、定岡は“通告”したのに行かないと。それで、やめるとなった。まだ若いのに、もったいなかったね」と振り返るのは淡口憲治だ。淡口は1971年に巨人へ入団した左の強打者。よく少年たちが真似していた尻(腰?)をプリッ、プリッと振るスイングからすさまじいスピードの打球を放った左打者で、勝負強さと安定感を兼ね備えながらも、左投手に弱いというレッテルもあって代打の切り札に甘んじることが多かった。この淡口が、右腕の山岡勝とともに捕手の有田修三とのトレードで近鉄へ移籍することになる。

「どうしても(有田を獲得する)この話を成立させたかったんでしょうね。違う方向性を探ったら、近鉄が『左打者が欲しい』となって、僕に話が来た。まず僕は『これは身代わりですか』と聞いたんです。そうしたら『違う』って。どう考えても身代わりですけどね(笑)。そして『“通告”ですか、“うかがい”ですか』と聞いたら『“通告”と取ってほしい』って。そのとき、『1週間、返事を待ってほしい』と言ったら、『キミ、1週間もいるのか』って(苦笑)」(淡口)

86年から4年間、近鉄でプレーした


 定岡と同様、引退も考えた淡口だったが、プロ15年目を終えたばかりとはいえ故障もなく、長男が背中を押したことや西宮に住む母親の病気もあり、“通告”を受け入れることに。結果的に、これは吉と出た。85年は69試合の出場で16安打に終わっていた淡口だったが、近鉄1年目の86年は115試合で107安打と復活、89年のリーグ優勝にも貢献して、「日本シリーズでは巨人に3連勝で、『よし、日本一になるんだ』と思ったら4連敗でしたけど(笑)」(淡口)。これが現役ラストシーンとなった。一方、巨人へ移籍した有田も存在感を発揮して、88年にはカムバック賞。淡口が引退した89年オフにダイエー(現在のソフトバンク)へ移籍して、91年までプレーを続けた。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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