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プロ野球はみだし録

“絶好調男”中畑清も満身創痍…故障が呼び込んだ? 「絶好調!」のフィナーレ【プロ野球はみだし録】

 

頂上決戦で迎えたラストシーン


“引退試合”となった日本シリーズで代打本塁打を放った中畑


 巨人中畑清は「絶好調!」が口癖。その人気もあって「絶好調!」は流行語にもなった。中畑の異名は、そのまま“絶好調男”。だが、その中畑が故障で離脱すると、なぜかチームが「絶好調!」になる。1981年には三塁手として開幕を迎えるも故障、これで二塁手として篠塚利夫が、三塁手として新人の原辰徳も「絶好調!」で、一塁で復帰した中畑も「絶好調!」。83年の故障は3年目の駒田徳広を先発出場に導き、駒田は初打席で満塁弾を放つ快挙を成し遂げている。

 そして89年。かつて夢に描き、手にした途端に離れていった三塁の座に、ふたたび就くことになった中畑だったが、やはり巨人は「絶好調!」だったものの、プロ14年目、すでにベテランとなっていた中畑は復帰に時間を必要とした。そして、引退を決意。「絶好調!」といかなかった中畑だが、奇跡が待っていた。

 巨人は6月には首位に立ち、終盤は広島の猛追をかわしてリーグ優勝。日本シリーズでは近鉄と激突する。だが、巨人はシリーズが始まると「絶不調……」に陥り、いきなり3連敗。これまで2度の挑戦で日本一に届いていない近鉄の悲願が達成されようとしていた。相手の“失言”(?)で闘志がよみがえった巨人は、そこから3連勝。巨人と近鉄は第7戦(藤井寺)で雌雄を決することになる。

 4点リードの6回表、代打で登場したのが中畑だった。頂上決戦で迎えた“引退試合”。これだけでも奇跡なのだが、巨人ファンだけではなく、劣勢の近鉄ファンからも中畑へ声援が送られる。考えてみてほしい。近鉄にとって日本一は悲願だ。結果的に歴史を終えるまで成就できなかったのが日本一だった。そんな未来は知らないまでも、応援するチームが日本一を逃しかねないとき、相手の選手が引退するからといって声援を送るだろうか。ファンだけでなく(おそらく)アンチも最多を誇るであろう巨人だが、中畑の人気は別次元のものだったのだ。

 そして中畑は2球目を左翼席へ。“絶好調男”らしく飛び跳ねながらダイヤモンドを一周した中畑は、その勢いのままベンチ裏に駆け込むや否や、男泣きに泣いたという。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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