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パンチ佐藤の漢の背中!

「上手い役者」より、印象に残る「いい役者」を目指す元阪神右腕・嶋尾康史/パンチ佐藤の漢の背中!

 

野球以外の仕事で頑張っている元プロ野球選手をパンチ佐藤さんが訪ねる好評連載、今回は元阪神投手で、現在は俳優として芸能界で活躍中の嶋尾康史さんを、BS-TBSで2022年1月22日19時から放送されるドラマ『ホテルマン東堂克生の事件ファイル』の撮影現場に訪ねました。下の写真の嶋尾さんの衣装は、劇中で宅配便業者の役を演じるからです。決して宅配便業者に転職したわけではありません。
※『ベースボールマガジン』2021年10月号より転載

「過去」に興味がないので初勝利の記憶も曖昧


嶋尾氏[左]、パンチ氏


 東洋大姫路高では3年夏、長谷川滋利(オリックスほか)とダブルエースとして甲子園で活躍。1986年秋のドラフトで、地元・阪神タイガースからドラフト2位指名を受けた。

 社会人野球に内定が決まっていたことから「上位指名であれば、どこでも行かせていただきます」という意思を示してはいたものの、「周りもファンが多かったし、親も何気にタイガースファンっぽかったので、嬉しかった」と振り返る。

 その後、ウエスタン・リーグでオリックス・パンチ佐藤選手と対戦。お互い結果は覚えていないそうだが、2人の時間が重なる現役時代から思い起こしてもらった。

パンチ 18歳の少年がタイガースに入ってまず味わったキャンプ、オープン戦。どうだった?

嶋尾 日本一になった後でベテラン選手が多く、マイペース調整が浸透していたんです。スター選手や大先輩ばかりの中、精神的に気を使うところは多々ありましたが、肉体的には高校時代にかなり鍛えられていたので、何とかついていけたかなと思います。でも、「そこから自分で何をやるかがプロなんだ」と気付くまでに、時間がかかりましたね。

パンチ じゃあ、プロのレベルに衝撃を受けたというよりは、「俺もやっていけるな」という感じだったんだね。

嶋尾 ところが「できそうだな」と思っていたわりに、二軍の成績に波がありました。高卒なので、とにかく二軍で実績を残さなければ上には上がれない。じゃあ自分で何を頑張って、どこを直せばその実績が付いてくるのか、初めて考え出したのが1年目の終わりごろでした。

パンチ そこで何を考え、どんな練習を積んでいった?

嶋尾 コントロールですね。あとは、打たれてもいいから点を取られないこと。コントロールに関しては、2年目のキャンプでピッチャーの基本となるアウトローを意識しました。ピッチングの仕上げのとき、何球連続でアウトローに行くか、10球のうち何球投げられるかといった練習をしました。変化球も一つ、増やしました。

パンチ プロ初勝利は、2年目に挙げたんだね。

嶋尾 広島相手だったと思いますが、2年目でしたっけ?

パンチ 88年7月5日、対広島11回戦(広島)と記録にあるよ。

嶋尾 そうですね。覚えていないというか、あまり過去に興味がないんです。確か、本来キーオが先発予定だったんですよ。だけど、試合直前にどこか痛いと言い出して、ベンチがバタバタ。「嶋尾行ける?」と言われて、急きょ先発したときでした。

92年には25試合登板で1勝2敗1セーブ、防御率2.39と阪神の優勝争いに貢献した


パンチ それがプロ初先発、初勝利。何も考えずにワーッと行ったのがよかったんだね。そのときのピッチングって覚えてる?

嶋尾 点を取られそうな場面が何度もあって、でもそこをなんとか抑えながら、中西(清起)さんはじめ後ろのピッチャーに助けてもらいましたね。

パンチ 初勝利のことってだいたい事細かに覚えているものだけど、覚えていないということは、今の仕事がそれだけ充実しているんだろうね。

嶋尾 いいことおっしゃいますねえ(笑)。

パンチ 本当だよ。過去を引きずって生きている人間っていうのは、いつまでも最初のことを覚えているんだよ。

嶋尾 パンチさん、初安打覚えてます?

パンチ 覚えてるよ(笑)。だけど俺はそればかりに引きずられず、前を見ているつもりだからさ。嶋尾君はプロで年数を重ねて、どこが一番自分の中で変わっていったと思う?

嶋尾 3年目あたりからバッターのクセや何球目で打ってくる、追い込まれたら何を狙ってくるといったデータ的なことまで考えるようになりました。体も大きく、強くなっていきましたが、頭の中が一番変わっていった部分だと思います。

野田さんをトレードした理由を引退後、聞き……


94年の練習中のカット。一軍登板は92年が最後で96年に引退するまで右ヒジの痛みと闘っていた


パンチ 6年目(92年)が一番投げているんだね(25試合に登板、1勝2敗1セーブ、防御率2.39)。この年の思い出は何かある?

嶋尾 ヤクルト戦(9月11日、甲子園)で、日付をまたいだ延長15回の試合があったんです。あのとき14、15回を投げました。試合が終わったのが、(12日)午前0時半近く。それで、12日の試合でも投げたので、1日2試合投げたことになりました。

パンチ 6時間超えか(6時間26分)。すごい試合になったね。

嶋尾 9回裏、3対3の同点から八木(裕)さんの幻のサヨナラ本塁打があったんです。最初、ホームランの判定だったんですが、ヤクルト・野村(克也)監督の抗議でエンタイトルツーベースに覆りまして。結局延長15回、3対3の引き分けに終わりました。

パンチ 当然まだ、ビデオ検証なんてなかったよね?

嶋尾 そうなんです。よく覆ったなと思います。あれがサヨナラのままだったらあの年、タイガースは優勝していたはずですよ(結果は2位)。でも終盤、急に失速してしまって……。

パンチ 93年から最後の96年まで、一軍での登板はなかったんだ?

嶋尾 93年のキャンプで、ヒジを故障したんです。翌年、右ヒジ内側側副じん帯の手術を受けました。当時監督だった中村勝広さんに、引退してだいぶ経ってから聞いたんですよ。タイガースは92年のオフ、野田浩司さんをオリックスにトレードしているんです。「お前が野田の代わりになるだろうと期待して、野田を出して松永(浩美)を取ったのに」って。いや、本当に迷惑をかけたなと思います。

パンチ ヒジの故障が引退につながったの?

嶋尾 最終的にはヒジなんですが、肩とか腰とか、ちょこちょこ故障していました。引退前年の95年には、2度目のヒジの手術を受けているんです。まだリハビリ過程だったので、治ればもうちょっといけるんじゃないかと思ったのですが……。

パンチ そこで戦力外通告を受けたわけだ。

嶋尾 はい、自由契約にするか任意引退にするか聞かれて、「まだ他の球団をあたってみたいから」と、自由契約にしてもらいました。つてを頼って、ヤクルトと近鉄で入団テストを受けさせてもらったのですが、不合格。それでもあきらめきれず、台湾に渡って向こうのチームのテストも受けたけれども、やはりダメでしたね。そこで「これはもう無理かな」と思いました。

「これはよくある話なんですが……」と、嶋尾さんは続けた。現役時代は、故障がち。そこで自らがお世話になった、鍼灸師、整体師を目指して恩返ししようと思い立ったのだ。

 専門学校に入学間際、現役時代応援してくれた関係者に、「次は体を治療する仕事を考えています」と引退の挨拶と今後のことを報告して回った。そのとき、瀬川昌治監督(映画監督、脚本家、舞台演出家。TBSドラマ『ホテル』など)に「キャスターとかタレントとか、芸能界に興味はない? 大阪に顔の広い女性社長がいるから、一度会ってみたら?」と言われ、今の所属事務所を紹介してもらったのが、思わぬ転機になった。

生涯成績3勝の投手が月3勝の投手に物申す?


パンチ しかし、やっぱり阪神、巨人は違うよね。事務所に入ったことで、いろんなチャンスがあったでしょう。

嶋尾 最初がラジオで、それからテレビもやらせていただきました。パンチさんがおっしゃるように、タイガース出身ゆえのお仕事です。だけど、僕の生涯成績って3勝7敗1セーブなんですよ。「それはプロ野球選手としてどうなの?」という思いが自分の中にあって、胸を張って「プロ野球選手をやっていました」と言えませんでした。なのに、仕事でキャスターとして野球を語っている自分が、気持ち悪かった(笑)。野球以外で勝負できる仕事がないかな、とずっと思っていました。

パンチ 元プロ野球選手という立場にしがみつく人もいるけど、嶋尾君はスパッと断ち切って、新しい舞台を求めたんだね。

嶋尾 だって僕が物申している相手が、ヘタしたらひと月で3勝するピッチャーたちなんですよ。こんな選手に何を言ってるんだという気持ちがありまして。

パンチ まあ、だからこそ語れる部分もあるんだけどね。俺も嶋尾君と同じタイプだから旅番組、グルメ番組に行って、野球はノータッチにした。それで、どこから俳優への道が拓けたの?

嶋尾 仕事の打ち合わせで事務所に行ったとき、たまたま深町幸男監督(NHK『夢千代日記』など数々の名作を手掛けた)がいらしていたんです。台本を渡されて、「君、ちょっとこのセリフを言ってみて」と言われるままに演技をしてみたら、「役者をやってみないか」と。そこからです。深町監督が演出なさった、テレビ東京の『魚心あれば嫁心』という連続ドラマがデビュー作になりました。

パンチ それはすごい出会いだね。そのドラマを撮り始めるまでの間に、何か役者のトレーニングをしたの?

嶋尾 深町監督の塾があったので、役が決まった瞬間から稽古をつけていただきました。

パンチ その、最初のドラマではどんな役だったの?

嶋尾 ファミリードラマなんですが、脱サラしてパン屋を始める、頼りなく気の弱い夫役でした。僕の奥さん役が中島唱子さん。八千草薫さん、十朱幸代さん、渡辺いっけいさん……とそうそうたるメンバーの中に、いきなりレギュラーで入れていただいて、それはそれで大変でした。

パンチ レギュラーということは、セリフは一つ二つじゃなかったわけだ。

嶋尾 結構ありましたね。台本の1ページ目に名前が書いてあるような役でしたから。

俳優業に関して熱く語る嶋尾氏


パンチ そこで、まずどんなことを学んだ?

嶋尾 いろいろな考え方があると思いますが、まず「気持ちを作る」ことですね。ドラマの撮影現場では1カメから3カメ、4カメと、いろいろな方向からカメラが撮影していて、スイッチングで切り替える。その段取りを役者が間違えると、すべてダメになってしまうんです。だから気持ちを作りつつ、プラス頭の中で段取りを整理して芝居を進めていかなければなりません。セリフだけでなく、冷静に、物理的な側面も同時進行でこなしていかなければならないことを学んだ最初のドラマでしたね。

パンチ 俺もドラマとか映画とか出演させてもらったけど、それって一番難しい撮影だよね。いきなり一番難しいところから入ったんだ。

嶋尾 そうなんです。今考えれば、大変な現場に入れていただきましたよね。そのときはもう、付いていくのに必死で……。

パンチ でもそれを最初に経験しておけば、他は大丈夫だったでしょう。

嶋尾 いやあ、10ページ分一気に撮るとか、いろいろすごい現場がありましたよ。最後のほうで自分がトチると、1ページ目からまたやり直しなので、かなりプレッシャーがありました。

パンチ 俺ね、自分がセリフをしゃべって覚えるより、人がしゃべってくれるのを聞いているほうが覚えられるんだよ。それってどうなの?

嶋尾 そういう方もいらっしゃいますよ。セリフの覚え方も、十人十色。僕はどうしても覚えられないときは、出掛ける用がないのに車に乗って、車のシートに座って覚えるのが一番スッと入ってくるんです。

結果が見えないから他者の褒め言葉が嬉しい


パンチ いろいろだね。役作りはいつもどうやってしているの?

嶋尾 台本を読み込んで、自分のセリフの意味合いを考えます。これは嫌らしく言ったほうがいいのか、真面目に言ったほうがいいのか。弱々しく言ったほうがいいのか、掛け合いする方のセリフも読み取って……。

パンチ さっきプロ1年目の終わりまで「考えていなかった」って言っていたけど、本当はもともと考えることのできる人だったんだよ。

嶋尾 自分では「はい」とは言いにくいですね(笑)。だけど苦しいのは、頭で考えているところに体が追いつかないとき。こういう芝居をしよう、このセリフはこう言おうと考えて、本番に臨むじゃないですか。「よーい、スタート」で演じたとき、自分の考えたものに追いついていないことが、よくあるんですよ。そこがしんどいです。

パンチ いやいや、すごいよ。さすが20年以上やっているだけあるよ。俺なんか、ただ自分のセリフを一生懸命覚えて、しゃべるだけだもん。そんなの、考えたこともない。例えば刑事役をやった『名探偵キャサリン』だったら「西岡徳馬さんのあとに、こうしゃべるんだな」とか、それしか考えていなかったもん。

嶋尾 僕も最初のころは、その状態に近かったですよ。

パンチ どのぐらいから変わった?

嶋尾 気づいたら、考えるようになっていました。

パンチ やっぱり数か〜。役者って楽しいなと思った瞬間はどんなとき? こういうセリフをしゃべったとき楽しい、なんてこともあるの?

嶋尾 演じているときではなく、ごくまれに褒めていただけるときは、とても嬉しいですね。自分がやった芝居がいいか悪いか、判断できないですし。芝居における役者って、野球のように「三振を取った、うれしい」と、その場その場で結果が見えるものではないじゃないですか。だから、そこを第三者に言っていただけたとき、初めて喜びを感じます。

パンチ 逆に放送を見たとき、「あ、もっとこうしておけばよかったな」と思うことは?
嶋尾 ずっとです。今もそう思います。

嶋尾氏[左]、パンチ氏


パンチ 数ある出演作の中で、「ここで一皮むけた」とか「何かひらめいた」とか、あるいはもう単純に心に残った役ってある?

嶋尾 2002年に公開された『ミスター・ルーキー』という、阪神タイガースが優勝する映画で、タイガースの選手役をやったんです。野球を辞めてしばらく、野球選手役のお話を遠ざけていたんですよ。でも、この映画で初めてお受けしました。ピッチャーではなく野手の役でしたが、タイガースの選手を演じさせてもらったことで、野球界に残してきた未練のようなものが、完全に払拭できた気がしました。

パンチ それはそれ、これはこれ、と何か吹っ切れたんだ。

嶋尾 芝居として野球選手を演じて。初めての甲子園での撮影のとき、僕は一塁手の役だったので、元の職場のマウンドではなく一塁ではありましたけど、グラウンドに立った瞬間、泣きそうになりました。辞めて初めて、甲子園のグラウンドに立ったのが、その撮影だったんです。

パンチ 甲子園っていうのは特別だもんね。

嶋尾 自分の中ではそうですね。

パンチ 将来の夢――こんな俳優になりたいとか、こんな役をやってみたいというものはある?

嶋尾 僕は決して器用ではなく、不器用なほう。だから言葉は難しいですけれども、上手い役者、上手い芝居ではなく、見た方の印象に残るような「いい芝居」ができる「いい役者」になりたいと思っています。

パンチ 俳優っていうのは定年がないしね。若いときポンっと飛び出して、すぐ売れなくなっちゃう人もいれば、緩やかな曲線を描いて売れる人もいるし、ずっとくすぶっていたのが最後にバッと花咲く人もいるし。嶋尾君もまだまだこれから、ボンッと大きく弾けるタイプかもしれないね。55歳、60歳、65歳と、トシを重ねるごとにもっといい男の味が出てくるという。

嶋尾 それを目指して頑張ります。そのとき、また来てもらえますか?(笑)

パンチ また違った形のインタビューとかね。

嶋尾 共演者かもしれないですよ。

パンチ それはないな〜(笑)。

パンチの取材後記


「元プロ野球選手」と話をしている感覚がなかった。最初から俳優だった人と、異業種対談をしているような、そんな感じ。25年間、彼はそれだけ経験を積み、勉強を重ね、一つひとつの役をやりながら成長していっているんだなと感じた対談でしたね。

 そして、役者とはなんと魅力的な職業か。僕は役者をやらせてもらったといっても学芸会レベルで、「やっぱりダメだな」と思っていたけれども、話を聞いていたら「またちょっとやってみたいな」と色気も感じてしまいました。

 僕もそうだけれども事務所の社長さんとの出会い、監督さんたちとの出会い……。いつもここで言うように、真っすぐ歩いていないとそういう出会いも巡ってこない。現役時代の後援者を頼りにラクして第二の人生を……なんて考えて失敗する人もいる中で、自分の「これだ」という道をしっかり歩んできてよかったなと思います。

 嶋尾君はここ数年、「たまに全体を俯瞰して芝居を見ると、自分の演技に役立つよ」と勧められて、舞台の演出担当も手掛けているのだとか。毎年一度、東京でも公演があるそうなので、僕もぜひ行って、プロの俳優さんの息遣いを生で感じてみたいです。

●嶋尾康史(しまお・やすひと)
1968年5月8日生まれ、兵庫県出身。東洋大姫路高からドラフト2位で1987年に阪神入団。96年限りで現役引退。通算成績は66試合登板、3勝7敗1セーブ、防御率4.06。その後は芸能界に転身し、深町幸男演出のテレビ東京系列ドラマ『魚心あれば嫁心』(98年)で俳優デビュー。映画『ミスター・ルーキー』(02年)に阪神の打者役で出演するなど、以後も数多くのドラマ、映画、舞台で活躍。BS-TBSで2022年1月22日19時から放送されるドラマ『ホテルマン東堂克生の事件ファイル』に出演予定。

●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。

構成=前田恵 写真=斎藤豊
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