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プロ野球回顧録

遊撃手で歴代最多のシーズン41本塁打 ファンにも絶大な人気誇った「中日の遊撃手」は

 

空振りを恐れない豪快なスイング


ファンからの人気も高かった宇野


 遊撃は守備で最も負担が大きいポジションと言われている。かつては「専守防衛」とも呼ばれ、打撃では多くを求められていなかった。その固定概念を覆し、2リーグ分立後、史上唯一の遊撃で本塁打王を獲得し、歴代最多のシーズン41本塁打といまだ破られてない記録を樹立したのが、1980年代から90年代前半にかけて中日でレギュラーとして活躍した宇野勝だ。

 宇野の名前を聞くと、現在も語り継がれる「珍プレー」のイメージが強いかもしれない。81年8月26日の巨人戦で宇野勝がフライの目測を誤って頭部にボールを当てた「ヘディング事件」だ。スポーツバラエティー番組『プロ野球珍プレー好プレー』で何度も流れた映像を見た人は多いだろう。ただ、このプレーが宇野の本質ではない。攻守で時代を先取ったスケールの大きいプレーが魅力だった。

 宇野は銚子商高で3年夏に甲子園に出場。「三番・遊撃手」で中心選手として活躍したが、当時はスラッガーではなく中距離打者だった。中日にドラフト3位で入団すると、一枝修平コーチのマンツーマン指導で鍛え上げられ、高卒3年目の79年に遊撃のレギュラーを獲得。リーグ優勝した82年に自身初の30本塁打をマークすると、84年は37本塁打で阪神掛布雅之と共に自身初の本塁打王のタイトルを獲得。夏場に強く同年も7月まで掛布に7本のリードを許していたが、8月だけで15本塁打を放ち追いついた。ちなみに117三振もリーグ最多。空振りを恐れない豪快なスイングにファンは酔いしれた。翌85年も自己最多の41本塁打をマーク。阪神・バースが54本塁打でタイトルに届かなかったが、遊撃のシーズン本塁打で歴代最多記録だ。

豪快な打撃も魅力だった


 スイングスピードの速さは球界屈指だった。日米野球では4試合出場して5本塁打をマーク。1試合2本塁打を2回記録しているが、これは史上5人しか達成していない。メジャーで活躍する投手たちの快速球をスタンドに運んでいた。

ダイナミックな遊撃守備


遊撃守備で何度もチームのピンチを救った


 遊撃の守備では79年以降7年間で6回のリーグ最多失策を記録しているが、決して守備が下手なわけではなかった。身長180センチの大型遊撃手だったが身のこなしが速い。三遊間の深い打球に逆シングルで強肩からアウトにするなど好守でチームを何度も救っている。

 遊撃の守備にこだわりはあったが、88年は星野仙一監督の方針で開幕から高卒ルーキーの立浪和義(現中日監督)を遊撃で起用。宇野は二塁に回った。プロで実績のない高卒ルーキーに遊撃の座を明け渡すことに葛藤はあっただろう。だが、宇野はその思いを表に出さず、フォア・ザ・チームに徹するプロ意識の高さを持っていた。不慣れなポジションで全130試合出場し、打率.277、18本塁打、76打点で6年ぶりのリーグ優勝に貢献。93、94年の2年間はロッテでプレーをし、ユニフォームを脱いだ。

「遊撃で長距離砲」という唯一無二のスタイルを確立し、シーズン30本塁打以上を4度、20本塁打以上を9度マーク。プロ通算18年間で1802試合出場、打率.262、338本塁打、936打点、78盗塁を記録した。

 現役引退後は中日で計7年間打撃コーチを務め、現在は野球評論家として活動。20年9月にYouTubeチャンネル「「UNO is PERFECT」を開設。昨年は貧打で苦しむ中日に提言を送るなど、愛情あふれる動画が多い。宇野のような長距離砲の出現を中日ファンも望んでいる。

写真=BBM
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