20世紀は2人のみ
投手の快挙で真っ先に思い浮かぶもののひとつはノーヒットノーランかもしれない。そのうち、プロ野球で15度のみ、21世紀に入ってからは1度もないものが完全試合だ。逆に、20世紀のうちは希少性があったものの、21世紀に入って交流戦が始まったことで達成しやすくなったのが全チームから勝ち星を挙げること。もちろん現在の2リーグ制となってからのことだが、20世紀には2度しかない。
初めて達成されたのは2リーグ制34年目の1983年。ペナントレースで別リーグのチームと対戦することなど皆無だった時代だ。これを達成するためには、最低3度の移籍を経て同一リーグ2チームに在籍しなければならなかった。まだトレードに放出という印象がつきまとい、投手は先発すれば完投して勝つことが求められる傾向も強かった当時。いずれのチームでも第一線にいることも重要だった。
第1号となった野村収は、移籍でブレークした右腕。ドラフト1位で69年に入団した大洋(現在の
DeNA)では芽が出ず、わずか3年で
ロッテへ。トレードの相手は奇しくもプロ野球で初めて全チームから本塁打を放った
江藤慎一だった。野村は移籍1年目から14勝も、やはり2年でエース格の
金田留広とのトレードで
日本ハムへ。ここで古巣のロッテに勝ってパ・リーグをコンプリート。だが、またしても4年の在籍で、
杉山知隆、
間柴茂有の投手2人とのトレードで移籍したのは古巣の大洋だった。
快挙からは遠ざかったものの、野村は復帰1年目に17勝で最多勝。大洋では5年間プレーして、韋駄天の
加藤博一とのトレードで阪神へ移籍したのが83年だった。そして5月15日の大洋戦(甲子園)で達成。「チームが勝ってくれればいい」と野村は淡々としつつ、「第1号は気持ちいい」とも。ちなみに、続くときは続くもので、第2号は同年10月。やはりドラフト1位で76年に太平洋(現在の
西武)へ入団した右腕の
古賀正明で、ロッテ、
巨人、大洋と渡り歩いての達成だった。4カ月あまりの差だが、古賀は通算38勝。3度の移籍で在籍4チーム、8年での達成は通算121勝の野村よりも効率的(?)だ。
文=犬企画マンホール 写真=BBM