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プロ野球はみだし録

キャンプイン前日の衝撃、GTトレード第1号。「僕は江川くんの犠牲で行くわけじゃない」【プロ野球はみだし録】

 

エースと“実績ゼロ”の新人とのトレード



 巨人と阪神のライバル関係はプロ野球が始まった1936年にまでさかのぼる。当時は全7球団。その1年目から選手の移籍は確認できる。ただ、そこから現在に至るまで、巨人と阪神の間でのトレードは著しく少ない。第1号は1979年。事態が一気に加速したのはキャンプインの前日、1月31日のことだった。

 78年の秋。巨人はドラフト前日、いわゆる“空白の1日”を使って作新学院高、法大で“怪物”と騒がれていた江川卓と契約。この脱法的な行為に球界は騒然となり、契約が認められなかった巨人はドラフトをボイコットする。巨人のいないドラフトで江川を指名したのが阪神だった。巨人は12球団がそろっていないドラフトは無効とコミッショナーに提訴するも、却下。江川サイドは阪神との交渉を拒否して、事態は暗礁に乗り上げる。

 だが、コミッショナーからの“強い要望”で、江川は阪神へ入団、すみやかに巨人とトレードという流れになっていった。つまり、まだプロでの実績が皆無の新人と、なんらかの実績がある選手の誰かがトレードされる、という異常事態だ。そして1月31日、宮崎キャンプへ向かう羽田空港で、巨人の小林繁がナインと“別行動”となる。巨人の関係者が小林を連れ去ったのだ。

79年の阪神入団発表会見


 小林は76年から2年連続で18勝を挙げてリーグ連覇に貢献した変則サイドハンドで、事実上のエースといっていい存在だった。“実績ゼロ”の新人との交換トレードで白羽の矢が立ったのは、エース。翌2月1日の深夜に小林は会見を開いて、「僕は同情なんかされたくない。江川くんの犠牲で阪神へ行くのではなく、阪神が戦力として欲しいと言ってくれたからです」と語った。トレード成立は8日。この“江川事件”では政治家の暗躍もあり、事態の異常性はエースと新人のトレードというだけにとどまらなかったのかもしれない。現役を引退してからになるが、「球界が抱えていた諸問題とトレードしたんだ」と小林も振り返っている。

 これをトレードに数えるかは議論の分かれるところだろう。ただ、小林は巨人から阪神へ移籍して、巨人戦8連勝を含む22勝で最多勝に輝いたことは事実だ。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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