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春季キャンプ中にまさかの電撃退団…メジャー契約の打診を断った「史上最強打者」は?

 

ハマの史上最強助っ人打者


03年にロッテに入団したローズだったが……


 ロッテで主軸として期待されたにもかかわらず、春季キャンプ真っただ中の電撃退団で驚かせた選手がいる。横浜(現DeNA)で首位打者、打点王2度、最多安打2度獲得するなど「ハマの史上最強助っ人打者」と呼ばれたロバート・ローズだ。

 ローズは1993年に横浜に入団。当時は「守備の人」の触れ込みで、メジャー通算70本塁打のグレン・ブラッグスのほうが注目度は高かった。ローズは「つなぎ役」を求められ、来日1年目の開幕戦で犠打を命じられている。このときはパワーヒッターとして覚醒する姿を想像できなかっただろう。出色のミート能力で評価を覆す。体の近くに極限までボールを引きつけて広角に打ち分ける打撃技術で直球に差し込まれず、変化球もはじき返す。1年目に打率.325、19本塁打、94打点で打点王を獲得すると、その後もコンスタントに高い水準の成績を残し、勝負強い打撃で打線の核となる。四番打者が指定席となり、98年に38年ぶりのリーグ優勝、日本一貢献した。

 日本でプレーした8年のうち7シーズンで打率3割をマーク。二塁の守備も正確なスナップスローに加え、球際に強かった。98年にゴールデン・グラブ賞を受賞。ベストナインに6度選出されている。グラウンドを離れると物静かな性格で家族との時間を大切にした。メディアの前で日本語を話すことはなかったが、横浜で活躍していたときにダイヤモンドバックスからメジャー契約の打診を断っている。日本球界、横浜に対する愛着は強かった。

横浜では在籍8年で輝かしい数字を残した


 ウエート・トレーニングに熱心なことで知られ、鍛え上げられた体から振り抜かれる打球は力強さが増していった。99年は打率.369、37本塁打、153打点で首位打者、打点王を獲得。最多安打(192)と広角に長打を量産する。投手は抑える術が見つけられなかっただろう。だが、全盛期にもかかわらずこの年の6月に突如「引退宣言」をした。撤回して翌2000年も横浜でプレー。打率.332、21本塁打、97打点で2年連続リーグ最多安打(168)をマークしたが、契約交渉が難航して同年限りで横浜を退団した。

「野球に対する情熱がなくなった」


 米国に帰国してトレーニングは続けていたが、米国で球団に所属しなかった。2年のブランクを経てロッテに入団したのが03年。日本で活躍していた勇姿を見ていたファンは喜んだが、思いもよらない形でチームを去る。2月の紅白戦3試合で8打数無安打に終わると、「野球に対する情熱がなくなった」と会見で語り、19日に退団してしまった。実戦から2年遠ざかっていたため、「試合勘を取り戻せば打つだろう」と楽観視する見方が多かったが、まさかの決断だった。来日からわずか28日で「史上最速退団」。ローズはお騒がせ外国人のイメージから程遠かっただけに、衝撃は大きかった。スポーツニュースだけでなく、ワイドショーでもこのニュースが取り上げられた。

 ロッテも開幕前に主軸として期待していた主砲が退団したのは想定外だった。開幕直後に緊急補強したホセ・フェルナンデスが打率.303、32本塁打、100打点とクリーンアップで期待以上の成績を残したのが救いだった。

 ローズは横浜で8年間プレーし、NPB通算1039試合出場、打率.325、167本塁打、808打点。全盛期の活躍はすごかった。ナイーブな性格だったがゆえに、ロッテでイメージどおりの打撃ができなかった自分に失望したのかもしれない。いろいろな意味で「伝説の助っ人」だった。

写真=BBM
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