週刊ベースボールONLINE

プロ野球はみだし録

落合博満に続く年俸調停もキャンプイン後に解決。高木豊は「ホッとしました」と語るも…【プロ野球はみだし録】

 

高木は自費でキャンプに参加して


年棒調停の末に横浜と契約し、93年もプレーした高木だったが……


 1990年オフに中日落合博満が日本人の選手として初めて申し立てた年俸調停が決着したのは翌91年3月8日。キャンプインしてからも年俸が決まらない異例の事態だったが、落年俸調停の存在を知らしめたエポックでもあった。そして早くも続く92年のオフには、大洋(現在のDeNA)の高木豊が年俸調停を行った。

 高木豊は84年には盗塁王に輝き、打率3割を超えること8度など、攻守走の三拍子がそろった内野手。92年はプロ12年目となるベテランで、2年連続で全試合に出場して24盗塁、打率.300をマークしていた。そんな高木に球団は査定ポイントでは落ちているとダウン提示。これに対して高木は3年連続8度目の打率3割に加え、主将としてのリーダーシップを主張して、1億263万円を求めていた。球団は現状維持の9330万円まで譲歩したものの、それでも差は933万円。そこから事態は膠着、キャンプイン寸前の1月28日には4度目の交渉も決裂して、判断が調停委員会に委ねられたまま、高木は自費でキャンプに参加することになった。

 高木はキャンプ中も上京して調停委員会の事情聴取を受け、2月16日になって裁定。結果は9840万円で、1億円には届かなかったものの、高木は「まずはホッとしました」と安堵の笑顔を浮かべた。

年俸調停後の会見


 景気がいいと言われながらも、それが我ら庶民には実感しづらい昨今でも、高木のキャリアなら軽く1億円は超えていただろう。ただ、実感からしても景気のいい80年代もプロ野球選手の年俸は増加の足が鈍く、さらには92年といえばバブル崩壊の影響が暗い影を落とし始めていた時期。大洋も横浜ベイスターズに生まれ変わろうとしていたオフでもあった。

 一方、ゴールデン・グラブの選考にも異議を申し立てるなど、自分が正しいと思えば簡単には引き下がらない高木。迎えた93年シーズンも全試合に出場したが、9盗塁、打率.268と失速したこともあってか、あるいは年俸調停の火がくすぶりつづけていたのか、オフに自由契約となり、日本ハムへ移籍することになった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング