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斎藤雅樹、上原浩治、菅野智之…平成以降で最も印象深い「巨人のエース」は?

 

 沢村栄治藤本英雄別所毅彦堀内恒夫江川卓……かつて巨人のエースとして活躍し、球界を代表する名投手であることは周知の事実だ。では1989年の平成以降ではどうだろうか。斎藤雅樹上原浩治、現在も現役でプレーしている菅野智之は記録にも記憶にも残る投手であることは間違いない。最も印象深い「巨人のエース」をこの3人から選ぶとすれば、どの投手になるだろうか。

沢村賞3回のサイド右腕


サイドからキレのある直球、スライダーを投げ込んだ斎藤


・斎藤雅樹
※NPB通算426試合登板 180勝96敗11セーブ、防御率2.77

 斎藤が投げる試合は「絶対に勝つ」と野手陣が信頼を置くほどの安定感だった。サイドスローだが技巧派ではない。シンカーも投げるが、直球とスライダーの2種類で抑え込んでいた。140キロを超える直球に打者は速度以上の体感速度を感じ、球威十分だった。ストライクゾーンから外角に曲がるスライダーはボール球と分かっていてもバットが止まらない。メジャー通算256本塁打でヤクルト時代に本塁打王を獲得しているラリー・パリッシュは2年間で斎藤との対戦成績が打率.094(32打数3安打)、0本塁打、19三振と大の苦手で、斎藤の登板日はスタメンで出場することを嫌がったほどだった。

 恩師・藤田元司監督との出会いも大きな影響を及ぼしている。市立川口高からドラフト1位で巨人に入団当時はオーバースローだったが、当時の藤田監督が投球時の腰回転がサイドスロー向きだったと分析してフォーム改造へ。プロ3年目の85年に先発、中継ぎとフル回転して12勝を挙げた。87年は0勝に終わりトレード要員に挙げられたが、藤田監督が89年に監督復帰して復活。同年に11連続完投勝利の日本記録を達成し、最多勝、最優秀防御率、平成初の沢村賞を受賞。90年も8試合連続完投勝利を挙げるなど最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最優秀選手とタイトルを総ナメにした。最多勝5回、最優秀防御率3回、最高勝率3回、最多奪三振1回獲得。史上4人目の沢村賞を3回受賞した。30代半ばからたび重なる故障で通算200勝には届かなかったが、勝率.652と圧巻の安定感で、「平成の大エース」と呼ばれた。

数字でも証明される抜群の制球力


フォークを自由自在に操るなど制球力に優れていた上原


・上原浩治(巨人、オリオールズ、レンジャーズ、レッドソックス、カブス)
※NPB通算312試合登板、112勝67敗33S、23H、防御率3.02
※MLB通算436試合登板、22勝26敗95S、81H、防御率2.66

 テークバックが小さい独特の投球フォームで、球の出どころが見づらい。快速球に打者は差し込まれ、制球力も抜群だった。上原のすごさは制御不能と呼ばれていたフォークを自由自在に操っていたことだ。直球と同じ腕の振りから、シュート気味に落としたり、右打者から逃げる回転で落としたりするなど軌道を使い分け、カウントや打者の狙いを察知して落差の幅も自由自在に変えていた。

 個性的な投球スタイルは、東海大仰星高のときに外野手だったことも影響しているのだろう。3年に上がると投手も兼任したが、エースに建山義紀(元日本ハム)がいたため登板機会はほとんどなかった。大体大で本格的に投手転向して素質開花。97年のインターコンチネンタル杯の日本代表に選ばれ、国際大会151連勝中だったキューバ相手に決勝戦で投げ勝って名を上げた。

 巨人に逆指名で入団すると、1年目の99年に20勝を挙げるなど抜群の制球力でエースに。最多勝、最優秀防御率、最多奪三振を2回、最高勝率を3回獲得した。メジャー移籍後も13年にレッドソックスの守護神で日本人初のワールド・シリーズでの胴上げ投手に輝くなど、史上初の日米通算100勝100セーブ100ホールドを達成している。抜群の制球力は数字でも証明されている。NPBで1500イニング以上投げた投手の中で、9回あたりの与四球数が1.20と制球力を武器に通算200勝以上をマークした元広島北別府学の1.90、元阪神ロッテ、大洋・小山正明の1.80を大きく上回っている。

日本代表でもエースとしてけん引


昨季は不調に陥ったが、今季完全復活を誓っている菅野


・菅野智之
※NPB通算成績215試合登板、107勝56敗、防御率2.39

 本格派右腕としてその完成度は群を抜いている。スライダー、フォーク、ツーシーム、カットボール、カーブと多彩な変化球はすべてが一級品で精度が高い。入団当初は変化球を器用に操り凡打の山を築いていたが、直球も年々力強さが増し、相手を力でねじ伏せる投球スタイルに変化していく。エースとして先発の中心で稼働し続け、最多勝3度(2017、18、20年)、最優秀防御率4度(14、16〜18年)、最多奪三振2度(16、18年)、MVP2度(14、20年)と毎年のようにタイトルを受賞。17、18年は2年連続で沢村賞を受賞し、18年は選考基準すべてをクリアした。日本代表でもエースとして17年のWBCに出場し、準決勝のアメリカ戦で6回1失点(自責点0)6奪三振と好投を見せた。

 絶対的エースとして牽引してきたが、昨年は試練のシーズンになった。故障やコンディション不良の影響に苦しみ、4度の登録抹消を経験。内定していた東京五輪も出場辞退した。ただ、復調の兆しは見せている。9月は5試合登板で3勝2敗、防御率3.21。10月は4試合登板で1勝0敗、防御率1.88と安定感を取り戻していた。通算防御率2.39は斎藤、上原を上回る数字で際立った安定感を物語っている。今年は完全復活で「最強のエース」の称号を取り戻す。

写真=BBM
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