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たらいまわしのフライヤーズ? の真相/週べ回顧1973年編

 

 4年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。

日拓ホームフライヤーズは1年で終わるのか


表紙は巨人長嶋茂雄


 今回は『1973年10月1日号』。定価は100円。
 
 1973年のペナントレース真っ只中、日本熱学工業(現在は倒産。現存の日本熱学はまったく別のもの)が日拓ホームフライヤーズを買収するという記事が出た。

 日本熱学の牛田次郎副社長が「球団を持つことは企業イメージをアップさせる意味で十分メリットがある。来シーズンから球団経営にかかわってもなんら支障になるものはない」と球団経営に興味を示す発言をし、同社の社長が日拓の球団役員を兼ねていたことからの報道だった。

 同社はノンプロチームを持ち、総額1億円のゴルフトーナメントを開くなど、スポーツに興味を持っていた。エアロマスターというコイン式の冷房機のレンタルが主力の会社で、ノンプロの球団名にもエアロマスターを使っていた。もし買収が実現したら「エアロマスター・フライヤーズ」となったはずだ。

 翌日になって日拓・西村昭孝オーナーが会見。

「そんなことはあり得ない。永久に球団を手放す意思はない」

 と発言した。

 日拓が球団を持ったときからウワサになっていたのが球団経営の輪番制だった。東映が球団を身売りする際、パイオニア、ペプシなどに話を持ち込んだが、どこもクビをタテに振らず、日拓・西村社長、日本熱学社長など、財界の若手経営者が集まる亀清会に声をかけたという流れがある。その際、「みんなで力を合わせれば球団経営はできる」という話が出たという。

 実際、日拓は球団を持ったことで大きな宣伝効果があったが、出ていくカネも多い。日拓の球団代表がパ・リーグに対し「経営者が複数でも球団を保持できるように実行委員会に諮ってもらえないか」という申し出をしたこともあったという。
 
 では、また。

<次回に続く>

写真=BBM
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