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プロ野球はみだし録

星野仙一はドラフトで「“星”と“島”を間違えた」と激怒も…日本ハムにいた「田中幸雄」の場合【プロ野球はみだし録】

 

同姓同名と背番号「6」



 東京(現在のロッテ)へ“人違い”で入団したアルト・ロペスは同姓“異名”の「ヘクター・ロペス」と間違われたもの。おそらく言葉の壁も立ちはだかっていたのだろう。日本語でも、似た名前は間違いやすいものだ。そこに思い込みなどが加われば、もはや間違えないほうが困難だ。

 中日星野仙一はプロ入り前、ドラフトで巨人から指名されると思っていて、実際に指名されたのは島野修で、「“星”と“島”を間違えたんじゃないか」と激怒したが、冷静に考えれば“野”しか合っていないわけで、間違いようもない気もするのだが、それでも可能性はゼロではない。また星野も、そう思いたかったのだろう。

 一方、同姓同名、まったく名前が同じとなれば、逆に必死で間違えないようにするものなのか。1980年代の後半、日本ハムに2人の「田中幸雄」がいた。もちろん“人違い”で入団したわけではない。

 ドラフト1位で82年に入団した田中幸雄は投手。この時点で同姓同名の選手はいなかったが、翌83年に同じ投手の田中富生が入団している。そこまでは珍しくない。85年にはノーヒットノーランを達成。そのオフにドラフトで3位指名されたのが田中幸雄だった。こちらは幸いにも(?)内野手。チームメートは前者を“オオユキ”、後者を“コユキ”と命名。後者も身長184センチと小柄ではなかったが、前者が身長190センチ、フォームも長身を目いっぱい使った豪快なもので、愛称も絶妙だったといえる。

内野手の日本ハム・田中幸雄


 問題はスコアボードだったが、すでに同姓の選手と書き分けられていた前者は、それまでと同様「田中幸」、後者は「田中雄」で解決。この状態は「田中幸」が89年オフに中日へ移籍するまで続いた。一方で、日本ハムに残った「田中雄」は21世紀に入るまでプレーを続けて、ラストイヤーの2007年には通算2000安打にも到達している。

 現在、巨人にも2人の「坂本勇人」がいるが、やはり通算2000安打を達成した先輩の背番号は「6」で、21年に育成選手となった後輩は「006」。なにかの罠にも見えるが(?)、ちなみに日本ハムで「田中雄」が91年から背負い、トレードマークとしたのも「6」だった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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