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プロ野球はみだし録

数字で振り返る1990年代の落合博満。中日では「このレベルで争っているオレが悪い」とも【プロ野球はみだし録】

 

168本塁打、609打点、打率.291の凄味


90年代は中日[写真]、巨人日本ハムのユニフォームを着た落合


 前回、1980年代の落合博満を数字で振り返ってみたが、もちろん落合は90年代もプレーを続けて、三冠王こそなかったものの、37歳で迎えた90年に34本塁打、102打点で本塁打王、打点王の打撃2冠に輝いている。ロッテ時代は全試合に出場したのは2度目の三冠王となった85年のみだが、87年に移籍した中日では2年目から3年連続と衰えは見せず。ただ、それも90年が最後となる。

 37本塁打を放った翌91年の本塁打王がタイトルも最後。90年は打率3割にも届かなかったが、91年は打率も順調だったが、打点はヤクルト広沢克己に離され、打率も同じくヤクルトの古田敦也と3毛の差で首位打者を逃した。三冠王も91年が実質的には最後のチャンスで、シーズン終盤にはヤクルト戦で徹底的に歩かされた場面もあったが、落合は「このレベルで争っているオレが悪い」とだけ語っている。

 落合は93年オフに導入されたばかりのFAで巨人へ移籍している。このとき40歳。その存在感は変わらなかったが、こうしたものは数字には表れないものだ。97年に移籍した日本ハムでは一気に数字を落としているものの、ラストイヤーの98年も、控えに落合がいることの脅威は相手チームには大きかっただろう。

 一転、さすがに80年代ほどの数字ではないとはいえ、90年代の数字からは落合の凄味が透けて見える。在籍は9年。打撃3部門で10傑には入っていないが、168本塁打は11位。ロッテの後輩で、在籍10年、14位につけている初芝清に10本の差をつけている。609打点も11位。これは10位の初芝に4打点だけ少なかったが、同じく在籍10年、91年の打点王でもある12位の広沢に8打点の差をつけた。

 打率は80年代のときと同様、2000打席を超えた打者で絞ると、落合は打率.2914で15位。14位は広島野村謙二郎で打率.292、16位は巨人と横浜(現在のDeNA)の駒田徳広で打率.2913だった。ちなみに、落合は1002試合の出場で989安打を放っている。試合は27位、安打は23位だ。特筆すべき数字には思えないかもしれないが、落合は93年オフに40歳。当時の落合と“同年代”の読者には、この凄味が分かるはずだ。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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