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プロ野球はみだし録

「あれだけ記録、記録と言われたら…」僕は機械じゃないとイチローが困惑したのは?【プロ野球はみだし録】

 

野球と記録とイチローと


シーズン200安打を達成した94年から3年、97年のイチロー


 オリックス3年目の1994年にプロ野球で初めてシーズン200安打を突破、以降7年連続で首位打者に輝いてメジャーへ、最終的には日米通算4367安打で世界の頂点に立ったヒットメーカー。イチローを手短に紹介すると、このようになる。こうした表現に、イチロー本人は眉をしかめるかもしれない。野球は数字、つまり記録のスポーツともいわれ、とかく記録が注目されるプロ野球選手はイチローに限ったことではないが、イチローほど常に記録と隣り合わせだったプロ野球選手は珍しいことも確かだ。ただ、イチローは早い段階から、記録ばかりに注目が集まることを嫌っていたように見えた。

 イチローがシーズン200安打に到達したのは94年9月20日。この時点で打率.393だった。それまで誰も見たことがなかった快挙に、さらなる前人未到の数字を期待してしまうのも無理はない。そこで、「次は打率4割?」と訊かれたイチローだが、「それはいらないです。精神的に苦しむのは嫌だから」と答えている。このシーズンは最終的に打率.385。全130試合に出場、リーグ最多の616打席に立った上での首位打者だった。

 翌95年1月に阪神・淡路大震災が発生。オリックスは“がんばろうKOBE”を合言葉にリーグ連覇、96年には日本一に。る程度だが、記録にまつわる喧騒から、イチローは解放されたように見えた。だが、迎えた97年。ふたたびイチローは渦中の人となる。4月16日のロッテ戦(ナゴヤドーム)を最後にピタッと三振をしなくなったイチロー。6月13日には小川亨(近鉄)の180打席連続を超えてパ・リーグ記録を更新、6月24日には藤田平(阪神)の208打席連続をも突破して、209打席連続無三振のプロ野球新記録。このとき記録を意識したかどうかを訊かれたイチローは、「あれだけ記録、記録と言われたら……。僕は機械じゃないんですから」と答えている。

 抜群の安定感をもって安打を量産するタイプの選手はヒットメーカー、つまり安打製造機と表現されてきた。やはり冒頭の表現に、イチローは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるかもしれない。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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