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プロ野球はみだし録

開幕前日に引退を発表したハマの功労者。「ちょっとコミュニケーションが不足してました」【プロ野球はみだし録】

 

「チームに必要」と「開幕二軍」の矛盾


大洋で名内野手として活躍した山下


 2022年のペナントレース開幕が近づいている。ないとは思うが、いや、ないと思いたいが、このタイミングで突然、引退を発表した選手が過去にはいた。大洋(現在のDeNA)の山下大輔だ。

 一般的にプロ野球の選手が現役を引退するのはペナントレースが終わったタイミングだ。そのシーズンの結果にかかわらず、それぞれの形での完全燃焼を果たして、彼らはユニフォームを脱ぐ。これは選手にとっても自然な流れといえるだろう。歴戦の選手であれば、古くはオープン戦が舞台となることも少なくなかったが、近年はシーズン中に引退試合が開催され、ファンに見送られてグラウンドから去っていく。こうした惜別の時間があることは、ファンにとってもありがたいことだ。だが、山下の場合は、それすらもかなわなかった。さらには、山下はチームの功労者だっただけに、ファンが受けた衝撃も大きかったはずだ。

 衝撃が走ったのは1988年。開幕は4月7日だった。つまり、引退の発表があったのは前日の6日ということだ。山下はドラフト1位、それも“イの一番”で指名されて74年に入団。1年目から一軍に定着し、翌75年には背番号も「1」に変更、堅実かつ華麗な遊撃守備でファンを魅了し続ける。攻守の要というだけでなく、チームの選手会長も長く務めた山下は、88年にプロ15年目を迎えるはずだった。ただ、そんな山下も徐々に出場機会を減らして、守っても遊撃から二塁を経て三塁に回るようになり、88年は36歳。一方の大洋は、87年に広島で黄金時代を築いた古葉竹識監督が就任。大洋が過渡期に入っていたのも確かだった。

 その87年は94試合の出場に終わった山下。オフに引退を考え、それを球団に相談すると「チームに必要だから」と慰留された、という伏線もあった。だが、山下に告げられたのは開幕二軍。ほかの選手と変わらず開幕に向けてトレーニングを重ねていた山下だが、これで伏線が導火線に変わった。ファンには寂しいラストシーン。のちに山下は「ちょっと古葉監督とのコミュニケーションが不足していましたね」と振り返っている。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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