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プロ野球はみだし録

政界も暗躍? 江川卓の“トレード”の前には開幕してから決着したトレードも【プロ野球はみだし録】

 

プロ野球で唯一の“2チーム本塁打王”に


紆余曲折の末、巨人に入団した江川


 9年間という決して長いとはいえないキャリアにもかかわらず、巨人の江川卓は強烈なインパクトを残した。ただ、その快速球でファンを魅了した江川だが、もっとも速かったのは高校時代といわれることを考えると、プロ入りにおける歯車が滑らかに動いていたら、もっと長い間、もしかすると我々が見たよりも強烈な、別の江川を見られたかもしれない。

 江川は1973年の秋、作新学院高を卒業するタイミングで阪急(現在のオリックス)から1位で指名されるも、これを拒否して法大へ進学。77年の秋にはクラウン(現在の西武)から指名され、これも拒否して“浪人”の道を選んだ。そして翌78年の秋、運命のドラフトを迎えるわけだが、そのドラフト会議を前に、江川の後見人でもあった衆議院議員が「江川くんを巨人へ入団させるために、ほかの球団は指名を見送ってほしい」という旨の発言をしている。

 これに忖度することなくドラフト会議では阪神が江川を1位で指名するのだが、その前日に巨人が“空白の1日”という制度の不備を突いて江川と契約するという前代未聞の展開となるのだが、この政治家の発言が、ドラフト会議に向けた流れに何らかの影響を与えた可能性はあるだろう。結局、江川は阪神へ入団し、開幕を前に巨人との“トレード”という形で入団。これをトレードに数えるかは議論の分かれるところだろうが、球史にはトレードとして残るのも事実だ。

52年、開幕後の4月11日に西鉄へ移籍した大下


 歴史をさかのぼると、やはり政治家が暗躍したトレードがあった。戦後、復活したプロ野球に颯爽と登場、“青バット”で本塁打を量産した大下弘が51年オフに東急(現在の日本ハム)フロントと衝突、移籍を志願。毎日(現在のロッテ)、近鉄、西鉄(現在の西武)が獲得を申し出たが、そこで大下が失踪した。このときも政治家が東急オーナーに大下を近鉄へ移籍させるよう圧力をかけて、ますます事態は混沌としている。最終的には翌52年のペナントレースが開幕して間もない4月11日に大下は西鉄へ移籍。このときのトレードで東急へ来た深見安博は本塁打王となったが、これはプロ野球で唯一の2チームにまたがる本塁打王だった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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