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プロ野球はみだし録

究極のワンポイント? “遠山&葛西スペシャル”は「だいたい成功したので続いてしまいました」【プロ野球はみだし録】

 

「1回でも失敗したらやめる」はずが


阪神復帰後、リリーフ左腕としてチームに貢献した遠山


 強打者への“刺客”として登板するワンポイントリリーフ。マウンドにいる時間は短く、仕事が終わればベンチに下がり、当たり前のようだが、その試合には2度と戻ることはない。ただ、2人の投手がワンポイントリリーフを繰り返すこともルール上は可能だ。マウンドを降りてもベンチに下がらず、ほかの守備位置に就けば、ふたたび登板しても守備位置の変更に過ぎないわけだ。これを実際にやってみせたのが20世紀も最後の最後、野村克也監督の率いる阪神だった。

 2人の投手は遠山奬志葛西稔だ。遠山は巨人松井秀喜を得意として、1999年には13打数ノーヒットと、左の長距離砲を完璧に抑え込んだ左腕。阪神が21年ぶりリーグ優勝、2リーグ制で初の日本一を飾って“猛虎フィーバー”に沸いた85年の秋、ドラフト1位で指名されて入団した。だが、1年目の86年こそ8勝も、その後は故障で失速、90年オフにロッテへ移籍して、95年には野手に転向。97年オフに自由契約となり、野手として阪神のテストを受けるも、投手として合格、復活への道を切り開いた。自己最多の63試合に登板した99年にはカムバック賞も贈られている。

アンダーハンドとして存在感を発揮した葛西


 一方の葛西もドラフト1位での入団で、先発、救援と役割を変えながら低迷する阪神を支え続けた右のアンダーハンドだ。葛西はプロでは投手ひと筋(?)だったが、学生時代に野手の経験があったことから、遠山と葛西がマウンドと一塁を行き来する継投策が実現。これは“遠山&葛西スペシャル”と呼ばれた。遠山には1イニングを任せてもらえない悔しさもあったというが、「『1回でも失敗したらやめる』と言われていたんですが、だいたい成功したので、ずっと続いてしまいました(笑)」と振り返る。試合を締めくくることも多かった葛西は、わずか1球を投じただけで勝ち星がつく“1球勝利投手”にもなっている。

 ちなみに、2人の入れ替えは1イニングで2回、遠山から始まったとすれば遠山、葛西、遠山まで。「2人の継投で完投したら傑作」と冗談で言われていたというが、両者は2002年オフ、同じタイミングでユニフォームを脱いでいる。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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