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プロ野球回顧録

“通算317勝”近鉄・鈴木啓示が突然の引退「草魂の魂が抜けたら単なる草」【プロ野球回顧録】

 

長く、貧打で援護に恵まれなかった近鉄のエースに君臨した鈴木啓示。1984年に史上3人目の通算300勝を達成。「草魂」「投げたらアカン」は流行語にもなった。しかし、85年途中、突然の引退宣言をした。

満身創痍の最終年


84年に通算300勝を挙げた際の鈴木


 1985年4月24日、藤井寺球場。近鉄は先発左腕、19歳の小野和義の好投もあって南海に勝利した。

 この日、まだ小野が投げている間に、鈴木啓示は球場を出て愛車「ベンツ280SL」で自宅に向かった。翌25日の先発に備えてである。日本に数台しか入ってきていない、この車を選んだのは、単なる高級車趣味ではない。一番自分に合ったクッションのシートを探してだった。腰だ。鈴木の腰は、もう爆発寸前。しばらく座っていると、立ち上がるのも苦労するほどだった。

 前年の84年は16勝をマーク。5月5日、藤井寺で通算300勝を達成した。このときウイニングボールを「300勝は単なる通過点」とスタンドに投げ込み、話題となった。座右の銘「草魂」やCMにも出演した際の「投げたらアカン」は流行語になった。

 しかし、37歳の体は、もうボロボロだった。サウスポーの軸足、左足の痛風が悪化。食事療法と注射で痛みは抑えたが、思うように走れなくなったことがジワジワ、ダメージとなっている。当時、親しい記者に「俺に今のピッチングの知恵と若い肉体があったらなあ。世の中は分かったときには、もう遅いんやな」と話したこともあったという。

 この年、近鉄は球団史上初の試みとしてサイパンで春季キャンプを実施したが、鈴木は拒否。「19年間やってきたことを20年目もしたい」と理由を語った。しかしながら、藤井寺のキャンプで右足を痛めてしまう。ついでとばかり、病院で体全体の精密検査を受けると、担当した医師に「よくまあ、こんな体で……」と言われた。右足のアキレス腱は、いつ切れてもおかしくない。腰は背中の骨がずれていた。医師は「できれば、それなりに長い期間、療養したほうがいい」と忠告したが、この男が聞くはずもなかった。

笑顔の引退会見


引退会見の鈴木は笑顔が多かった


 話を戻す。4月25日、鈴木は途中KO。若手投手たちのリリーフに助けられ、試合は勝ったが「男の人生にリリーフはない」と言っていた鈴木にとって、屈辱でしかなかっただろう。6月17日、大阪球場での南海戦では35球KOもあった。6失点で一死しか取れなかった。

 最後の登板は7月9日の日本ハム戦(後楽園)だった。2回1/3で5失点KO。300勝のウイニングボールを躊躇なくスタンドに入れた男が、ポケットに、そっとしまい込んだ。10日に引退表明。球団が必死に留意したが、鈴木の心は動かなかった。

 12日には前年優勝の阪急・上田利治監督によるオールスターの監督推薦が決まったが、「涙が出るほどうれしかったが、もうマウンドに上がる勇気もないし、ほかの選手にも失礼にあたる」と、わざわざ上田監督の自宅に行き、辞退を伝えた。上田監督には「第3戦(藤井寺)は君を育てた庭やないか。そこで1人だけでいいから投げてみないか」と言われたが、断ったという。

 13日には球団事務所で引退会見。「草魂の草が抜けたら、単なる草です。私のわがままと思われるかもしれないが、明るく送っていただけることに感謝します」と笑顔で語った。

 当時の心境について、鈴木はのちのインタビューでの言葉も紹介しておこう。

「私、実は監督のときも最後はシーズン途中で代わっているんです。『お前投げたらアカンとか、男の人生にリリーフはないとか言うといて、いつも途中で投げ出しているやないか』と言われることもあるんですけど、それはもう、やられたら精も根も尽き果てるぐらいの、もうこれ以上は投げられん、という抜け殻になってしまうくらいの気持ちでやっとったんやというふうにご理解いただきたいと思いますね」

「引退を決めたときも、打たれても、ああ、打ったヤツがうまいな、という感じで、クソッという気持ちがわき上がってこなかったんです。十発殴られたとして、一発殴り返したる、という気持ちがあればいいんですけど、それがわいてこなかった。そういう男がユニフォームを着てはいかんのです。その年も7月途中までで5勝してましたから、1年間やったらまだ10勝できるやないか、と言ってくださる方もいらっしゃったんですけど、そういうもんやないんです」

「引退を西本(幸雄)さん(元近鉄監督)に報告しに、ご自宅へうかがったときに、『やめますわ』と言ったら、私の目を見て『ああ、もうお前の目え見たら、死んどんな。ご苦労さん』と言われたのを覚えています」

 通算317勝、燃え尽きての引き際だった。

『よみがえる1980年代のプロ野球 1985年編』より

写真=BBM
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