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プロ野球はみだし録

あわやクビも「絶対に必要」と年俸アップ、でも開幕から絶不調……。1985年、バースの序盤戦【プロ野球はみだし録】

 

15打数2安打6三振、本塁打はゼロ


三冠王に輝いた85年のバース


 開幕から打撃爆発、幸先のいいスタートを切るに越したことはないのかもしれない。ただ、その逆、どん底のスタートから三冠王、MVPにまで駆け上がった助っ人がいた。“猛虎フィーバー”に沸いた1985年。阪神のバースだ。

 バースは来日3年目。1年目から長打率はリーグ1位だったものの、打撃タイトルはなかった。1年目の83年は35本塁打と長打力を見せるも、打率3割に届かず、打率.288はリーグ21位。2年目の84年はリーグ4位の打率.326と安定感を発揮したが、27本塁打に終わる。2年連続で100打点にも届いておらず、この時点では三冠王に輝く強打者の雰囲気はない。それどころか、84年に父親の危篤で1カ月の離脱があり、これを「わがまま」と批判する声が球団フロントのみならずマスコミ、ファンからも上がり、契約が切られる可能性もあったという。

 だが、そんなバースを「絶対に必要」と断言したのが就任したばかりの吉田義男監督だった。結果的には吉田監督の慧眼ということになるのだが、あわやクビというところから、逆に年俸が大幅アップとなったバース。それでも、85年のペナントレースが開幕してからも、バースのバットは湿りっぱなしだった。15打数2安打6三振、本塁打はゼロという数字で迎えたのが4月17日の巨人戦(甲子園)の7回。当時を知る熱狂的な阪神ファンには説明は不要だろう。

 7回裏二死一、二塁の場面で打順が回ったのが三番のバースだ。「ストレート待ってハードに叩くことだけを考えていた」というバースは、槙原寛己の投じた初球、甘く入ったシュート気味のストレートを完璧にとらえ、待望のシーズン1号。バックスクリーンへの逆転3ランだった。これに四番の掛布雅之、五番の岡田彰布が続いて“バックスクリーン3連発”。阪神のリーグ優勝、日本一を象徴する劇的な場面だが、これはバースの復活を告げる号砲でもあった。そこから破竹の勢いで打ちまくったバースは、最終的にリーグ最多の174安打もあり、54本塁打、134打点、打率.350で三冠王に。翌86年もバースの勢いは止まらず、2年連続で三冠王に輝いている。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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