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日本人メジャーの軌跡

イチローを追いかけ海を渡りアメリカの野球ファンに愛された川崎宗則/日本人メジャーの軌跡

 

ソフトバンク川崎宗則内野手は2011年12月、海外FA権行使を表明した。ただ、普通と違って狙いはメジャー入りでなく「マリナーズに行ってイチローと一緒にプレーしたい」ということだった。年が明けた2012年1月、マリナーズとマイナー契約を結んだ。2012年の開幕は3月28、29日、東京ドームで予定されていた(相手はアスレチックス)。スプリングトレーニングの招待選手である川崎としては、まずこの開幕2試合のメンバーに入ることが目標になった。

7月23日に衝撃的な出来事


マリナーズ時代の川崎


 いざ実戦が始まると打撃好調。12試合に出場して打率.387で、日本での開幕戦に特別に設けられた通常より3人多い28人の登録メンバーに入ることができた。東京での開幕2試合で出場機会はなかったものの、アメリカに戻って再開したスプリングトレーニングの3試合でも好成績を重ね.455の打率を残し、アメリカ本土での開幕25人枠に食い込むことができた。

 メジャー・デビュー戦はアメリカ本土2試合目、東京での2試合を含めると4試合目のアスレチックス戦だった。九番・遊撃でスタメン。第1打席凡退後、4回二死一、二塁の第2打席では、先発のバートロ・コロンから遊撃手のグラブを弾く安打を放ち、二塁走者を迎え入れた。試合は8対7で競り勝ち、上々のスタートとなった。

 控えの内野手としてチームに貢献していったが、7月23日に衝撃的な出来事が起こった。イチローがヤンキースにトレードされたのだ。イチローを追い、ソフトバンクでの年俸2億4000万円(推定)を捨ててマイナー契約でマリナーズにやって来た。出場機会のなかったこの日の試合後、球団広報を通じて「コメントはなしにしてください」とした。大きなショックを受けた様子がうかがえた。

 結局この年は61試合に出場して打率.192、0本塁打、7打点。シーズン終了後にメジャー40人枠から外れ、FAになった。

「イチローと一緒にプレーをする」という夢を果たしたものの、日本には帰らなかった。13年3月になってブルージェイズとマイナー契約を交し、開幕13試合目の4月13日に昇格。穴を埋めた。そして5月26日のオリオールズ戦。クローザーのジム・ジョンソンから左中間へ逆転サヨナラ2点本塁打。試合直後、通訳のいない川崎は英語でのインタビューに応じ、英会話の本を片手に堂々と日本人風の発音で明るく答え、盛り上がる観客のハートをしっかりつかんだ。これを機にトロントのファンだけでなく、メジャーのファンの人気者になった。

 ブルージェイズで3年間プレーしたあと、16年はカブスに在籍。メジャー通算5年間で276試合出場、打率.237、1本塁打、51打点。17年にソフトバンク復帰。レギュラーとしてバリバリ活躍したわけではないが、陽気な姿勢で多くのファンを笑顔にし、愛された。

『週刊ベースボール』2022年3月28日号(3月16日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
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