週刊ベースボールONLINE

日本人メジャーの軌跡

30試合以上の先発日本人投手で史上最高の防御率を誇る岩隈久志/日本人メジャーの軌跡

 

岩隈久志投手は2年越しでメジャーに移った。2010年終了後、ポスティングシステムを申請。アスレチックスが1910万ドルで落札した。ところがアスレチックス側の交渉姿勢に不信感を抱いた結果、決裂して楽天に残留することになった。11年には右肩痛のため規定投球回数に届かず6勝にとどまったが、防御率は2.42と安定。オフには海外FA権を行使し、マリナーズと契約を結んだ。

15年8月にはノーヒットノーラン


マリナーズ時代の岩隈


 契約期間は1年。年俸は150万ドル+出来高だった。アスレチックスが前年提示した条件が4年総額1525万ドル、楽天の年俸が3億円。そのいずれよりも低かったが、30歳の岩隈は金額よりもメジャーに行くことを決断した。

 1年遅れてメジャー・リーグにやって来たが、本意でないロングリリーフを任された。出番はなかなか回ってこなかった。初登板は開幕から15試合目、4月20日のホワイトソックス戦。4月12日の誕生日で31歳になって迎えたデビュー戦だった。1対6とリードされた6回からマウンドに登り、4回1失点だった。

 リリーフでは6月27日のアスレチックス戦まで14試合に投げて1勝1敗、防御率4.75だった。7月に入ると先発に回る。2日のオリオールズ戦で5回3失点、勝敗なしでスタートを切り、先発では16試合で8勝4敗、防御率2.65。先発ローテに定着した。

 2年目の13年は当初から先発。しっかりローテーションを守った。球速はなくとも変化球のキレとコントロールでメジャーの打者を翻ろうした。この年はオールスターに選出され、サイ・ヤング賞の投票では当時タイガースのマックス・シャーザー(現メッツ)、レンジャーズだったダルビッシュ有(現パドレス)に次いで3番目だった。リーグでも屈指の好投手との評価を確立した。

 15年8月にはオリオールズを相手にノーヒットノーランを達成。この年は広背筋を痛めて4月下旬に離脱。苦しい年だったが、日米通じて自身初の快挙を成し遂げた。晩年は右肩痛など故障に悩まされ、18年はメジャー登板なし。同年限りでの退団を決意し、9月26日にはイチローを相手に惜別始球式を行った。メジャーでの生活について「何でもチャレンジしていこうと気持ちだった」と口にしていた。

 その後、巨人に入団。2年間在籍して、一軍登板はなかった。メジャー通算150試合に登板し136試合が先発で63勝39敗、防御率3.42だった。30試合以上先発している日本人選手のうち、防御率はベストである。引退後は特任コーチ、アドバイザーとしてマリナーズと関わっている。

『週刊ベースボール』2022年4月4日号(3月23日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング