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伊原春樹コラム

“川崎ロッテ”で思い出すのは強打者。有藤道世さん、リー兄弟、落合博満は素晴らしい打者だった/伊原春樹コラム

 

月刊誌『ベースボールマガジン』で連載している伊原春樹氏の球界回顧録。2022年1月号では川崎球場時代のロッテに関してつづってもらった。

同じ三塁手として有藤さんを超えたかったが


“ミスター・ロッテ”有藤さんは本当にカッコいい選手だった


 川崎球場時代のロッテと言えば、まず思い浮かぶのは強打者たちだ。その筆頭は“ミスター・ロッテ”有藤道世さんだ。高知高、近大を経て1969年ロッテに入団した有藤さん。ルーキーイヤーから正三塁手として活躍。私が西鉄に入団する前年の71年には打率.285、27本塁打、60打点、19盗塁をマーク。1年目から三塁のベストナインを受賞し続けていた。私も三塁手だったから有藤さんを目標にした。いや、目標というよりは、やるからには追い越してやろうと燃えていた。だが、それは簡単なことではなかった。

 有藤さんは身長186センチと立派な体格をしていたが、とにかく何をやるにしてもカッコ良かった。打つ姿、走る姿、守る姿。何をするにしても様になる。あるインタビューで有藤さんは「3年目の春のキャンプがアメリカ(アリゾナ州)だったのですが、自分にとってそれがプラスになりました。守備に関しても打撃に関しても、当時の日本とは考え方が全然違った。アメリカの野球の考え方を学んだことが、のちの自分のプレーの基礎になりました」と語っていたが、すべてにおいてダイナミックなプレー。73年からはドジャースで新人王に輝き、ワールドチャンピオンにもなったことがあるジム・ラフィーバーがロッテでプレーしていたが、そんな元メジャー・リーガーの影響もあったのかもしれない。とにかく、強打の大型三塁手だった有藤さんのダイナミックなプレーは忘れられない。

 有藤さんとクリーンアップを組んだリー兄弟も印象深い。兄のリーは77年、弟のレオンは78年に入団。プロ野球史上初の外国人兄弟選手の誕生は大きな話題となった。左打ちのリーは1年目から34本塁打を放ちタイトルを獲得。兄と違い右打ちのレオンも1年目から打率3割をマークした。80年に張本勲さんが巨人からロッテに移籍して、前人未到の通算3000安打を達成したが、このとき二番・張本、三番・リー、四番・レオン、五番・有藤、そして六番・落合博満という豪華な顔ぶれの打線も組まれている。

やはり落合は史上最強の四番打者


リー[左]、レオンの兄弟のバッティングは非常に力強かった


この80年はリー、レオンの2人で打撃三冠を独占する勢いで打ちまくっていた。結局、リーが打率.358、33本塁打、90打点で首位打者を獲得。レオンが打率.340、41本塁打、116打点をマーク。リーは外野、レオンは一塁でベストナインに輝き、兄弟で打率ベストテンの1、2位となったのは史上初の快挙で以後もない。ちなみに張本さんは打率.261、12本塁打、39打点、有藤さんは打率.309、22本塁打、64打点、落合は57試合の出場だったが打率.283、15本塁打、32打点。強力打線がチームに勢いを与え、前期優勝を飾ったが、プレーオフで近鉄に敗れて日本シリーズ進出は叶わなかった。

 ちなみにレオンは私が現役時代、アメリカに野球留学をした際、現地のチームに所属していて対戦したことがある。当時からいいバッターだった。レオンが来日すると、向こうもそれを覚えていてくれて、片言の英語でよくコミュニケーションをとったことを覚えている。

 リーは10年連続打率3割をマーク(82年のみ故障のため規定打席不足)。一時は青木宣親(ヤクルト)に抜かれていたが、長らくNPBの4000打数以上のランキングで打率トップに君臨していたレジェンドだ。そんなリーだが、西武永射保を大の苦手にしていた。永射はサイドより、やや下の位置からボールを繰り出す変則サウスポー。まったくタイミングが合わないのだろう。全然打つことができなかった。業を煮やしたリーが右打席に立ったときは本当に驚いたものだ。確かバットには当てたが、ヒットにはできなかったと記憶している。

抜群の出塁能力、勝負強さを誇った落合


 あとはやはり落合だ。広角に打ち分けるバッティングは秀逸で、川崎球場の右翼席にもよく打球をたたき込んでいた。4年目の82年には打率.325、32本塁打、99打点で三冠王に輝いたから脱帽だ。83年も打率.332で3年連続首位打者。84年はタイトルを獲得できなかったが、打率.314、33本塁打、94打点と好成績を残した。しかし、これで満足することなくパワーアップを果たして85年には打率.367、52本塁打、146打点、86年には打率.360、50本塁打、116打点と本塁打を50本台に乗せ、文句をつけようがない成績で2年連続三冠王に輝いた。

 85年の成績を細かく見てみると、リーグ1位の101四球を選び、出塁率は.481。抜群の選球眼を誇り、約2打席に1度は出塁している計算になる。そして、シーズン歴代6位タイの52本塁打を放ちながらも、三振はわずかに40。巧みなバットコントロールが見て取れるだろう。さらに同4位タイの146打点。得点圏打率は.492を誇っていたから恐れ入る。史上最強の四番打者であったとも言えよう。

写真=BBM
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